吉野ヒロ子:2006年,「言説空間としての女性誌 ──読み手の経験に即した広報効果測定手法への試論」,広報研究,第10号

「言説空間としての女性誌 ──読み手の経験に即した広報効果測定手法への試論」

1.問題意識

生活者の広告離れとプロダクトだけでなく企業のブランディングの重要性が叫ばれて久しい。ある情報が「広告」だと受け取ると飛ばしてしまう、また情報価値を引き下げて評価する、という行動を生活者が行うことは知られている(野村総合研究所,2005)。

ならば、「宣伝」ではなく「広報」による社会とのコミュニケーションが重要、ということになるのだが、しかし、広報がどのような効果を上げているのか、たとえば企業のブランド価値、というものを測定するとなると、さまざまな難しさが立ちはだかる。マスメディアを対象とした広報の効果測定手法が論じられる際に、現在広く行われている広告換算法──媒体に露出した部分を計測し、そのスペースに広告を出稿したらどのくらいの値段になるかを計測し、指標とする──手法による測定では不十分だとしばしば指摘されている。<注1>この指摘は以前から繰り返されているが、個々の分析では重みづけの工夫や独自評価基準を付加して行うことで分析目的により合致する調査法が設定されているとしても、普遍的な方法として共通化されるようなレベルには至っていない。

それでは、広告換算法の次の手法としてどのようなアプローチが可能なのだろうか。「広告換算法」は、対象となる媒体の広告料金設定に応じて一定の重みづけを行うが、基本的には同じ条件で広告として出稿した場合の金額を指数として平等なデータとして扱う。しかし、わたしたちがメディアに接する時、ただ剥き出しに情報それ自体を摂取しているわけではない。たとえば新聞の場合ならば紙面レイアウトや面の振り分け、雑誌の場合はそれに加えて目次や装丁など情報をパッケージ化する技法によって構造化されている。この媒体が構造化されており、それがわたしたちが情報に接する時にある種の枠組を与えているという点を看過してしまうと、読み手に与えるインパクトの質を汲み取りきれないのではないのだろうか。

事例として、ここではかなり細かいセグメント分けがなされ、同時に強力なブランディング・メディアである女性誌をファッション誌を中心に取り上げ、女性誌への広告/協力記事/非・協力記事を通したブランドの露出の状況も見ながら、どのようなアプローチが可能であるのか考察してみたい。<注2>

2.構造化された意味の空間としてのメディア

朝起きればまず時計代わりにテレビをつけ、新聞を読みながら朝食を食べ、会社なり学校なりに行けばコンピュータなどそこでの作業に必要なメディアに接触し、昼食を摂りながら知人と最近のニュースやテレビ番組を話題にする、そして携帯電話でメールをチェックしたり、あるいは夕刊紙や雑誌を読んだりしながら帰宅、戻ればなんとなくテレビをつけ、サイトを見たり自分のblogを更新する、といった一日は、よくある生活者の日常だと言えるだろう。

このような社会では、生活者は自然にメディアを使い分けていく能力をもたなければならない。例えば、新しい車が発売されたというテレビのニュースを見ているとしよう。もともと車に興味を持たない人ならただ聞き流して次のニュースを待つかもしれないが、車に興味を持っている人なら既に知っている他の車と比較しながら見て、その場でインターネット検索をかけて信頼できそうな情報を探したり、また別の機会に専門誌などより詳しい情報源で確認するかもしれない。情報の精細度と媒体への信頼性によって情報の取捨選択を行っていくことはわたしたちがほとんど気づかずに実践していることであり、メディア・レピュテーション調査では、媒体に対する信頼度の違いがはっきりと出ている(ノルド社会環境研究所,2004)。

2.1.マスメディア論先行研究

ではマスメディアというものは、どのように分析されて来ているのだろうか。マスメディア環境が成立したのは、新聞や雑誌が充実しはじめ映画やラジオも普及した1920年代ごろと言えるが、それに対する研究は第二次世界大戦期にアメリカで行われたプロパガンダの分析に始まると言われている。

アカデミックな問題関心から行われる分析では、──特に社会学領域やカルチュラル・スタディーズ、言説分析の視点から行われるものなど──は、メディアと生活者の直接的な影響関係についてはストイックに考える傾向がある。本格的な研究の勃興期に、素朴な影響論(皮下注射図式)が否定されたこと、また受け手の側に立った問題関心からの研究が多く、個々の生活者が情報を解釈する能力を重視するモデルを前提としているためと言えるかもしれない(野村,2002)。

それに対して、内容分析の手法から派生した商業ベースの報道分析では、どれだけインパクトがあったかを測定することが鍵となる。代表的なものとしては、米CARMA社による報道分析があげられる。同社は1992年アメリカ大統領選挙に関する報道を分析し、世論調査による支持率の推移とシンクロした好意度レートの変動を描き出した(井之上喬編,2001)。国内でも高雄宏政事務所のように、広告換算など伝統的な手法に加えて、対象が記事の中でどのように取り上げられているのか(単独・主役・脇役)、掲載件数に掲載スペースを加味した露出指数、トピックスを類型化した上で論調がポジティブかネガティブか、それとも中立かを判定して掛け合わせる論調指標、といった独自ノウハウによって培われた指数を使った報道分析を行っている企業もある(高雄宏政事務所,2005)。

2.2.メディアを受容するという経験

特定の関心に基づいてメディアを分析する際、対象とするトピックと関連する部分だけを抜いて分析せざるをえないために、どうしてもデータをそれが置かれていた「文脈」から切り出したかたちで捉えがちになってしまう。アカデミックな研究の場合は、媒体まるごとを対象とする場合もあるが、報道分析の場合、対象となる記事をクリッピングするのが最初の手順である。そのため、分析はその記事が本来置かれていた場から切り離して行わざるをえない。

しかし、わたしたちがただの読み手としてメディアに接する時、個々の記事を独立したものとして情報を摂取していくわけではない。たとえば、後で取り上げる女性ファッション誌の場合ならば、コーディネイト記事(後述)も靴の特集記事も「最近の流行はどういうものなのか」という関心から関連づけて読み込んでいくだろう。それらの情報を読み込みながら、わたしたちは今まで得た情報や自分の興味関心と参照しながら取捨選択してゆき、さらに情報を得たいと思えば別のメディアに接触する。

フランスの歴史家シャルチエは、書物の形態と読むという行為の歴史を分析し、「テクストの内容」は、どのようなかたちで伝えられても変わらないものだとする見方を批判している。製本のスタイルや活字のレイアウトなどといった書物の形態やデザイン、物質としての書物のあり方が、読書という社会的行為の実践に互いに影響を与えあっているとし、場合によっては印刷上の工夫や配慮はテクストに埋め込まれたものに劣らぬほど重要なこともある、としている(Chartier,1993)。残された書物だけを見て読者がどのようにそれを読んでいたのか確定することはできないが、書物のデザインや刊行形態から、読者がどのように読むように促されているかを知ることが出来るからである。

シャルチエの論は書籍を中心にしたものだが、表紙デザイン・目次の立て方・記事内の見出しや小見出し・キャプションなど、エディトリアル・デザインの面で、書籍よりも複雑な技法が使われている新聞や雑誌ならば、情報の文脈を提示する技法はより強く読者に働き掛けると見てよいだろう。たとえば新聞記事ならば、記事の見出しがまずあり、内容を紹介するリードや単語が記事の枠内にちりばめられ、それぞれフォントの大きさを変えるなどのデザインをつけられて強調されている。テレビならば、ほぼ常に画面の片隅に置かれているテロップや番組ロゴが、これはなんの番組でどういうコーナーなのかを示す機能を果たしている。ドラマ番組の場合はテロップこそ入らないが、番組の冒頭でオープニングの映像と共にクレジットが流されるだろう。そうした装飾もなにもなく剥きだしの情報、ただのまっさらなテクストをわたしたちが摂取するということはまずない。報道の「内容」だけを見ようとするならば、こぼれ落ちてしまいがちな「内容」を縁取るさまざまな技法は、提示されている情報をどう受けとるべきか、情報が置かれている「文脈」を受け手に示す。

2.2.言説空間としてのメディア

一つのニュース、一つの記事は、一つの対象への言及は孤立したかたちで受け取られるわけではない。前節では、ある媒体に接するという経験の流れの中で情報を受け取っていることを指摘したが、もう一つ、別の層でも記事それぞれが互いに関連を持つ可能性がある。

フランスの歴史家フーコーは、一見無関係な領域に属するように見えることもあるが、一つの編成システムの元に統御されており互いに関連を持っている「言表」(énoncé:言い表されたもの)の総体を「言説」(discours)と呼び、身体や自己、狂気といったもののあり方を、それらを直接統御する法制度だけでなく、それまでの歴史学であれば関連づけられなかったさまざまな資料から分析した(石田,2002)。フーコー自身の著作は18世紀フランスなど過去の時代を対象としたものだが、この考え方は広い影響を及ぼし、現代の文化を対象とする領域でも多少の変容を経て継承されている。たとえば、イギリスなどで発達した言説分析(discourse analysis)の立場から、柄本(2002)はテレビの健康情報番組などを分析し、これらの番組やセミナーなどは、健康は個々の生活者が市民としての責任において管理しなければならないという「健康言説」を構成していると結論している。

次に取り上げる女性誌は、主にファッションや生活情報を扱うものとみなされているが、ファッション情報は服を適切に着こなすための単なるハウツーではない(磯部,1997)。どのような服を着、どのようなバッグを持つかは、自分がどのような者であるのか他者に呈示することにほかならない。それゆえ、さまざまなファッションアイテムにつけられた記述や描写は、どのような「自分」を選ぶことが出来るのかを読み手に示すものであり、女性に関する他の言説──たとえば女性の社会的地位や自己実現のあり方をめぐる言説とつながっていく可能性を潜在的に持っている。

日々メディアが発信している情報を観察すれば、テレビのニュース番組やワイドショー、新聞、各種雑誌、そしてblogなどに、ひとつのニュースがさまざまなメディアに飛び火をし、また相互に反映しあって広がっていくさまを見て取ることができる(川上・日吉・石山・松田・鈴木,2003)。このような直接的な言及関係が認められる場合でなくても、メディア上の記事はそれ自体が他の記事と重なって響き合うようななにかであり、ただのデータの塊ではなく互いに関連づけられ、奥行きを持つ情報のネットワークを形成する「空間」なのである。

3.言説空間としての女性誌

ここでは例として、ファッション情報を中心として女性誌を取り上げ、それがどのような「空間」であるのか考えてみよう。日本の女性誌は、世界でもほかに類がないと言われているほど精細なセグメントが行われており、大型書店ならば常時100点近い雑誌が、ファッション、生活情報など主要なトピック別、また対象世代に区分けされて配列されている光景に象徴されるように、生活者に対して「なにを選ぶべきか」きわめて具体的に呈示されている。また様々な傾向の雑誌で、同じ製品が違うやり方で取り上げられることも多く、その呈示のされ方の違いを読み取りやすいからである。

3.1.日本における女性誌の特性

ジャーナリストの久田(1998,pp.7)は「女性誌は、女の『欲望』を映す鏡である」と女性誌の特集記事を軸にしたエッセイの冒頭で宣言している。女性誌が女の欲望を映しているのか、女性誌によって分節化されることで新たな欲望が名付けられていくのかは検討の余地があるが(稗島,2005)、女性誌は「ファッション・グルメ・旅行・美容・健康・占い・恋愛」に代表される「女性の関心が高い」とされているトピックを季節に応じて提示していくことで成り立っており、どのセグメントに向けてどのトピックに力点を置くのかによって多種多様な媒体が出版されている。  日本において女性誌は133誌を数えるが、社会的立場や年齢、ライフスタイルによって生まれるニーズのズレに応じてきめ細やかに細分化されている。たとえば、年齢(9~14歳、5~17歳、18~20歳、18~22歳、23~26歳、25~29歳、27~35歳、30代、40代)やファッション中心の雑誌ならばファッションの傾向(外資系ブランド中心、109系、原宿系、セレブ系カジュアルなど)、対象読者の社会的身分(高校生・大学生、OL、キャリア・ウーマンなど。さらに既婚か未婚か、既婚ならば有職か専業主婦かの区別が入ってくる場合もある)に応じて発行されている(諸橋,2002,藤竹,2005,大野,2006)。ファッション情報の比率が高いものについて、どのようなものがあるのか簡単にまとめてみよう。

■総合ファッション誌

 20代向けの「more」(集英社)、30代キャリア女性向けの「Domani」(小学館)など、ファッション情報を中心にさまざまなトピックをまんべんなく盛り込んだもの。

■ファッション情報誌

 国内でのファッション情報を伝えるもの。大学生および若いOL向けの「Can Cam」(小学館)など。

■クオリティファッション情報誌

 国内のファッション情報を伝える中で、海外ラグジュアリーブランドを重点的に取り上げる。25~29歳対象の「25ans」(アシェット婦人画報社)など。

■モード誌

 海外のファッション情報をラグジュアリーブランドを中心に伝えるもの。「Harpers' BAZAAR」(エイチビー・ジャパン)など世界展開を行っているファッション誌の日本版という形をとるものが多い。

これらの雑誌は、読者によっては並行して読まれることもありえるが、年齢や所得階層が同じでも好みがズレていたらば、読者がクロスすることがないままのことも多いかもしれない。雑誌売り場でなにを手に取るか、ということは、自分がこの社会の中でどういうタイプなのかを選ぶ行為でもあり、また、これから得る情報をどう文脈づけしていくか、雑誌を読むという行為の最初の段階を踏むということでもある。

3.2.商品としての雑誌

商品としてみるなら女性誌はどのように作られているのだろうか。同じ「女性誌」といっても、ボリュームの差や、対象読者の違いで、かなりバリエーションが認められる。女性週刊誌のような部数の大きいマス媒体であれば、更紙と呼ばれる表面の粗い廉価な紙にモノクロ刷りの頁を数頁づつのカラー頁が挟むかたちになる。ファッション誌としての性格が強い媒体はカラー頁の割合が高くなっていくが、同じカラー頁中心の雑誌であっても「家庭画報」のような可処分所得が大きい読者を対象にした雑誌ならば高価なコート紙を使って、印刷の美しさや手触りで違いを出している場合もある。

雑誌の購入は特殊なものを除いて、書店の店頭で購入されることが多い。そのため、商品としてもっとも重要なのは、表紙デザインだろう。特集タイトルなどがさまざまな大きさのフォントで可能なかぎり詰め込まれているジャンルもあるし、逆になるべく余計な字を排し、芸術性の高い写真を表紙に持ってくることでアピールするジャンルもある。ファッション情報誌などでは、雑誌の専属モデルや、ターゲット読者が理想とする人物を押しだしアイコン化することで、年代・嗜好を一挙に提示する場合も少なくない。共に女子大生および20代前半のOL向けのファッション月刊誌である「JJ」(光文社)・「Can Cam」(小学館)・「Vivi」(講談社)・「Ray」(主婦の友社)が表紙デザインの類似から「赤文字雑誌」と総称されることもあるように、表紙のデザインそのものにも共通性が認められる場合もある。

ファッション情報誌を構成する形式をみてみよう。最初の数頁は記事対向広告と1頁の連載記事が続き、ついで数頁から十数頁記事がまとまって続く「特集」記事が入ってくる。「特集」扱いの記事が多いのもこのジャンルの特徴で、目次をみると「特集」扱いとして強調された記事は媒体によっては7~8点に及ぶこともある。が、表紙では、その号でもっとも重要と思われる特集を一つ大きなフォントで強調し、それを取り巻くように他の特集を紹介するデザインになっている。

記事内容に目を移すと、日本の女性ファッション誌の特徴となっている「コーディネイト記事」が目立つ。前出の「Can Cam」では、人気モデルの山田優と蛯原友里を軸に、クール系の「優OL」とフェミニン系の「エビちゃんOL」と着こなしのタイプを分け、さらに日記風に「今日は大事な会議の日」などシチュエーションづけをして、一ヶ月分のコーディネイト例を示す特集が定番となっている。単純に「新製品」が紹介されるのはニュースリリースを集めた雑報頁くらいで、メインとなる特集では、あるコーディネイトがどういう場面でどういう効果をもたらすか解説するキャプションをつけて提示される。

モード雑誌ならば、「モード記事」ともいうべき、日常とは隔たった舞台設定で写真そのものの芸術性を強調した、1頁にモデル1組の余裕のあるレイアウトで見せるタイプの記事が雑誌の中心的な特集として組まれることも多いが、「コーディネイト記事」の場合はレイアウトの面でも、見開きで十数組以上のコーディネイト例を見せる。また、若い世代向けの雑誌ほど、コーディネイト例を詰められるだけ詰めたレイアウトになる傾向がある。

3.3.「ラグジュアリー・ブランド」の露出

消費はもちろん単に物を買って使うことではない。ボードリヤールの消費社会論では、消費をすることは社会的な記号を身にまとうことであり、それによって人はアイデンティティをブリコラージュする、と言われている(Baudrilard,1970)。あるブランドを好みとして否定することはできるし、「ブランド信仰」を批判することもできるが、現在の日本社会において、記号としてのファッションブランドの機能を否定することは不可能だろう。

社会的な記号のあり方として、ラグジュアリー・ブランドの製品は、消費者自身のアイデンティティに食込んでいくだけの記号としての力が必要であり、極限までリーチを広くとり社会階層全体に染み渡っていくことを目指す日常品とは異なる戦略が必要になってくる。そのため、ラグジュアリー・ブランドは、上で「クオリティファッション誌」としたタイプの雑誌など媒体を絞り込んで広告を出し、また撮影用の商品の貸し出しを行う「協力記事」のかたちでコントロールしていると言われている(吉良,2002)。

一方、ブランド企業が直接かかわっていないかたち、広告も掲載されていないし、協力関係も誌面からは認められない媒体で作られる記事も散見される。並行輸入店からの提供を受けて、協力記事と似たような「新商品紹介」記事を出している場合もあるし、読者や有名人の私物紹介として所有者のコメントと共に提示される場合もある。これは、ラグジュアリー・ブランドの情報へのニーズが、企業が発信しようとする領域だけでは足りないほど社会的に高いということでもある。とはいえ、ブランド企業の側からするなら、「黒肌やんちゃお姉ギャルの生き様マガジン」を基本コンセプトとする「Happie Nuts」(インフォレスト)の、ぎっしりと詰め込まれた読者モデルが製品を身に付けている1頁と、年収800万円以上のキャリア女性など可処分所得の高い30代前半の女性を対象とした「NIKITA」(主婦と生活社)で、外国人モデルがまとってみせる5/6頁では、広告換算値は同じ150万円であるが、まったく異なる価値を持っているだろう。

3.4.製品はどのように呈示されているのか

では、ラグジュアリー・ブランドはどのようなかたちで読者に提示されているのだろうか。

読者の日常からもっとも離れたタイプの記事は、芸術性が強調されるオートクチュールのファッションショーだろう。モード誌以外で詳細に紹介されることは少ないが、共通した特徴をまとめて日常で着ることができる服へ落としていくというパターンの記事がある。次いで非日常的なセットの中で撮影されるブランドの世界観を伝えるタイプのモード誌の特集、国内のモデルが身につけて撮影されるクオリティファッション誌の特集と、読者の日常に近づいていく。

これら高級感、贅沢感をアピールするタイプの記事に対して、一般人がどのような服を実際に着ているのか、という観点からアプローチしていくタイプの記事がファッション情報誌には多い。街頭で撮影されたスナップの特集はさまざまな媒体で人気企画となっている。また、「読者モデル」やファッションブランドのプレス(30代・キャリア女性向け雑誌)など、職業モデルではないが高感度のセンスを持っているとみなされる人々もしばしば登場する。

たとえば、「主婦の友」2005年10月号の特集の一部「カワイイ!長持ち!飽きない!だから大好き! マイ ルイ・ヴィトン ストーリー」(主婦の友,2005)では、この雑誌の「読者」30人が私有しているバッグなどの製品を紹介し、思い入れを語るという企画になっている。「主婦の友」は、ラグジュアリー・ブランドがターゲットとする雑誌ではなく、リードで「『値段が高いし、私には…』と思っている皆さん。でもフツーの主婦こそヴィトン所有者が多いんです」と読者の自己イメージがこのブランドとそぐわないかもしれないことを一度示した上で、「みんなが持っている」ことが強調されている。ここでは、読者に対して同じ高さからメッセージが発せられていると言えるだろう。

読者との距離にクロスして、記事の切り口という要素が加わる。次のシーズンのファッションをコーディネイトの特徴からまとめるのか、靴やバッグなど単品のアイテムを取り上げるのか、などがある。ある切り口から複数のブランドの製品を集めて紹介するような記事の場合ならば、既にブランドそれぞれが社会的な意味を持っている以上、どのブランドの製品と一緒に取り上げられるか、という点も重要になってくるだろう。

3.5.女性誌における「文脈」

概観したように、女性誌においてはさまざまな技法を用いて製品を読み手に提示する。その技法によって、読み手に与えるインパクト、そしてインパクトの質は異なる。

ではそのインパクトの強さと方向性をどのように読むことが出来るのだろうか。先に見たシャルチエの論では、書物の形態やデザインといった部分が、その本をどのように読むよう促されていたかを知る手がかりとして評価されていた。ある号の中で、どの記事が一番重要なものとして提示されていたかは、読者がそうするように表紙のデザインや目次を見れば読み取ることが出来る。また、どのように製品が位置づけられていたかは、製品に付与されたキャプションを蓄積していき、その中で頻出する単語を比較することで女性誌上でのさまざまな類型と、それらがどのブランドに結びついているのか分析することが出来るだろう。

そうした蓄積の中からもう一段上の分析を行うことも可能だろう。たとえば2005年には「愛され(顔など)」というキーワードが、ファッション記事にとどまらずさまざまなジャンルの記事で目立っていたが、そうしたキーワードが出るのは見出しであり、そこからどのような女性像が理想とされているのか、その変遷を読むことも出来る筈である。

4.結論

広告換算法は、さまざまな媒体での露出をまとめて、「同じスペースに広告を出した場合の金額」というわかりやすい形で指数化できるというメリットを持っている。が、その手法の性質上、メディアに露出した部分だけを切り取らざるをえないために、受け手がそれを受けとるやり方とは離れたものになってしまう。

マスメディアで流通する情報は、雑誌の場合ならば「特集」など枠組のつけ方、見出しやキャプションなどで構造化されたものである。媒体の構造を読み解き、どう情報が呈示されているのか、その「文脈」も汲み取ることができるような分析手法──たとえば表紙や目次から読み取れる媒体内での位置づけを記事が置かれていたディレクトリのデータとして蓄積し、見出しやキャプションなどを記事がどのように意味づけられていたかを知る手がかりとして分析していくこと──で、より効果的な広報効果の測定が可能になるのではないか。

1)例えば(青田,2003)などで「広告換算法は邪道」という声があると紹介されている。

2)吉良(2002)は、雑誌が生活者個人の関心に基づいて購入されるセルフペイドメディアであり、読者はその雑誌が扱う対象に強い関心をもっていることが見込めることを、雑誌というメディアの強みとしている。

引用・参考文献

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