十兵衛様の孤剣

〜あるいは権力とはどのような力か(嘘八百万円)〜

柳生十兵衛様(愛)は言うまでもなく、山田風太郎最大ちゅーか唯一ちゅーヒーローでやんす。なんたって、シリーズものを書かない山田風太郎、連作短編を除けば長篇3つで主役はったのは十兵衛様ただお一人でやんす。他に独立した作品にまたがってでてくるのは結局推理物の茨木歓喜くらいか? 鳥居甲斐守みたいにあっちこっちにでてくるキャラクターはいないでもないけど、キャラクターのバージョン違っていて、別に統一された人格でもないしね…
十兵衛様登板の作としては、『柳生忍法帖』『魔界転生』『柳生十兵衛死す』がありますです。あと「死なない剣豪」にも若い頃の十兵衛様がちょっとでてくるか。3長篇+1短編の中で、十兵衛様は「洒脱で男くさいけど、紳士」かつ「侠気あって無っちゃ強い」という敵も味方も女は惚れてしまう王道いってますです。『柳生忍法帖』の大魔女おゆら、『魔界転生』のキリシタンくノ一お品(お品の死ぬとことか何度読んでも泣けるっす。かっちょよすぎる。くぅぅぅ)、あ?『柳生十兵衛死す』では別にほれられていないか。
男前だけど片目つぶれててたまに無精髭そよがせている三十男ちゅーのに女は根源的に弱いのかも。『嵐が丘』とか、大恋愛小説じゃあただ単に美男であるよりも、なんか男にハンデあった方が燃え燃え度は高まるしね(こりゃ単にブロンテ姉妹の趣味か)。

しかーし妙な含羞のもち方をする山田風太郎には、たぶん柳生十兵衛の造型はそれがすばらしいものであればあるほどおちりがムズ痒くなってしまったのではないかと思われる節があります。『柳生忍法帖』『魔界転生』『柳生十兵衛死す』と並べて、前2作と「柳生十兵衛が柳生十兵衛と闘って死ぬ」という決着のために書かれたとしか思えない『死す』の間でははっきりと断絶が見られます。てーか『魔界転生』で江戸初期の(ということはたぶん殺人の術として武道が一番完成された時期の)最強の10人の剣豪(しかも魔人)倒しちゃった十兵衛様は、自分自身と相討ちになる以外、死にようがない以上、「柳生十兵衛が死ぬ」ために書かれた本と言うほうが正確かも。
『死す』の十兵衛様は十兵衛様には入れたくないとよしの的には思うのですが、能という装置を使って室町時代と江戸初期を繋ぎ、十兵衛様と御先祖十兵衛が交錯するという恐ろしく野心的な構図をとりながら、そこでなされているのはいかんせん十兵衛様の脱構築っちゅーより解体です。江戸十兵衛はがはは的な側面が拡張されてなんだかわけわかんなくなり、室町十兵衛は『柳生忍法帖』で沢庵和尚に一瞬気味悪がられ、父但馬守に「殺人剣」として批判される剣鬼的な暗さが押し出されます。これって十兵衛様じゃないよ…

まあ、それはさておきまして、『柳生』『魔界転生』での十兵衛様はさわやか絶好調です。たとえば以下の決めぜりふ♪

「あの女たちを見殺しにして、なんの士道、なんの仏法。仏法なくしてなんのための天海僧正、士道なくしてなんのための徳川家でござる。もし、あの可憐な女たちを殺さずんば、僧正もしなれる、徳川家も滅びると仰せあるなら、よろしい、僧正も死なれて結構、徳川家も滅んで結構。・・和尚、和尚のふだんの御教えは、左様ではありませなんだか」(『柳生忍法帖(下)』角川文庫 P282)

こりゃ『柳生』での敵・芦名銅伯が天海僧正の命運を握っているという事実を知ったときのせりふでやんす。この後、この時代にはありえないムチャクチャな発言に敵味方ぽかんとしてしまうという描写が続きますが、決めぜりふとはかくあるべし、というせりふざんす。
十兵衛様の根源的なさわやかさというのは、この時代のちゃぶだい(徳川家&士道&仏法)をいとも簡単にひっくりかえせるムチャクチャぶりにあるわけざんす。剣の天才で、いちおー育ちもよくて(廃嫡されたけどお)、それでもって世の規範を相対視できる自由人であると・・・。きっと柳生但馬守(十兵衛謹厳実直ぱぱ・・・『魔界転生』では無理がたたって魔人になってますが)が若いころこんな事件に巻き込まれてたら(巻き込まれんだろうけど)、剣の腕とか変わらなくても結局斬られてそうだ・・・

ところでムチャクチャといえば、『魔界転生』の方にムチャクチャな人がもう一人いますです。悪の首領・森宗意軒ざんす。

「家光も死ね。頼宣も死ね。家康の血を分けた奴ら、骨肉相食め。ただ徳川家にたたれば・・われら小西亡臣どもは、それを以て満足せねばならぬ。いや、それを無上の喜びとし、そのためにこそわしは生き、そなたらも生きておるのではないか」(『魔界転生(上)』角川文庫 P200)

おい!まじめに陰謀せい!とか言いたくなってしまうムチャクチャぶりです。あとのことなーんも考えていません。キリシタンの世にして地上に天国作る・・・とかふつーキリシタン謀反人としては考えそうなものですが、そもそもそんな理念は森宗意軒、全然信じてないらしい。信じているのはみずからの徳川家への復讐の念だけ。
「徳川家が滅んでもいい」と「徳川家よ滅べ!」では全然違いますが、世の中の骨組みということになってる理念や、理念そのものを信じていないというとこから行動するという点では共通してますです。

ほんでは、十兵衛様(と森宗意軒)は「理念」から自由なんでしょうか? ふつーの時代小説なら(りゅーけーいちろーとかしばりょーとか)なら、心の自由=規範からの自由として措定されてたりするあたりがちらちらと見えてしまうざんすが、なんたって昭和32年に自己というもののさだまらなさを副テーマにしこんだ探偵小説を書いている山風でやんすから、そんな素朴な善意が通じる世界は書きはしませんです。

『柳生』と『魔界転生』の共通点を要約してみましょう。「大名」のやりたい放題&将軍になるぜ!野望の巻き添え的に殺された一族の仇を窈窕たる「女人」が討つのを十兵衛様がお手伝いし、そのまたお手伝いの坊主や柳生十人衆と悪いやつの「親玉&下っ端」は全員死んで、「大名」はやり込められて大団円、ということです。(なんか身もふたもない要約だが・・・)一見、古典的な勧善懲悪ざんす。

しかーし、『柳生』から熟読玩味してみましょう。
よーくよく読むと、これは『柳生』の「大名」加藤明成が単なるバカ大名だという話ではなく、むしろこれは大名と家臣、幕府と大名の間の自治権を巡る争いだという記述が随所に見られます。
『柳生』の発端となるのは、加藤家の家老・堀主水(「女人」の親玉お千絵のぱぱですが)が明成のバカぶりに愛想をつかせて「退転」(家臣から主従の縁を切ること)したことです。怒った明成は当時一応アジールであった高野山に逃げ込んだ堀一族の男達を引きずり出し、処刑しますです(ここまでは史実・・・たしか)。
「退転」というのは戦国時代にはよくある話だったようですし、逃げられた大名の方はむちゃくちゃカッコ悪いですが、それで後追いして処罰したという例はほぼないそうです。ほんで高野山に入った紛争当事者をそれ以上追うことはできないものとされていたにもかかわらず、幕府はこの二重の越権を認めます。その背景は以下のように解説されてます。

「幕府がそれをゆるしたのは、たんに大大名の強請におしきられたためでなく、やはり封建制度のいしずえをかためる必要上、侍個人の名誉と主君の意志が相反した場合、後者を重くみようという政策的な方針がきざしていたからではあるまいか。」(『柳生忍法帖(上)』角川文庫 P38)

気に入らなきゃ主君変えてもおっけーな時代から、君が全然君でなくっても臣は臣でなくちゃだめよんな時代へ変わっていく大きな動きの一角に堀事件はあるわけざんす。

ほんじゃー大名は好き放題やりたい放題かと申しますとさにあらず。
江戸花地獄編でさんざん堀の女+十兵衛様に痛めつけられてようやく会津へ帰ってきた明成に、『柳生』の悪の親玉・芦名銅伯はいいますです。

「四十万石の領地すべて、人間のすべてが殿のおんもちもの、いざ、これよりは太守らしゅう、思うままに愉しまれませい」(『柳生忍法帖(下)』角川文庫 P43)

芦名一族も明成自身もそう信じています。豊臣時代は荒大名として名をはせ、関ヶ原で東軍側に立った会津加藤家にとって、幕府や徳川家の権威は認めるものの別に幕府の家来だとは思ってやしませんです。自分の領国や領民・家臣は一種の私有物であり、池で凍らせようが使い捨てに淫楽殺人しようがおっけ〜♪なわけです。(その意味で角川版の中島解説はひっかかる・・・)

『柳生』の大団円、加藤家取りつぶし&明成流罪の命令を持ってきた千姫様(愛)に対して、明成は叫びますです。

「問罪とは、堀一族を誅戮のことか? 主人に弓ひいて退去した掘主水成敗の儀は、すでに御公儀の御裁許をたまわったことでござる。その仕置を敵呼ばわりして、なお主家に仇なす女狐どもを刑戮するが何の罪。その罪を問うと仰せあるならば、天下の諸大名は何によって領内の仕置をなすべきか、いかに将軍家御名代なりとも、御法にはずれたお裁きは、明成断じてお受け仕りませぬぞ!」(『柳生忍法帖(下)』角川文庫 P435-436)

処刑と称して堀の娘達をはだかんぼにして磔にしといてこれ言ってるのですが、やってることの趣味の悪さはとにかく、言ってることはあんまりバカ大名っぽくない。権利の主張としては筋が通っていますが、実際の罪状は、明成がごたごたにまぎれてすっかり忘れていた鎌倉東慶寺の男子禁制の法を破ったから、です。鎌倉東慶寺の男子禁制の法は千姫の口添えで家康が再確認したもの。幕府が承認し幕府が保護している権利ざんす。堀一族や領民を虐殺したことではなく、幕府の権威を傷つけたことが正式の罪状。
堀主水は「こんなバカ殿なんだから退転ありっしょ?」と信じて退転して明成と幕府共謀で殺されます。明成はおれ様は大名なんだから徳川家にたてつく以外なにやってもおっけ〜♪と思っていたのですが、なにがたてつくことでなのかを定義する権威は幕府にあることをすっかり忘れてたわけです。両者とも、自分の行為は正当なものだと思ってたのに全然そうじゃなかったわけです。というか、それで通っていたことが通らなくなっていくのがこの時代なわけです。

このパターンは『魔界転生』でも踏襲されています。徳川家康の子で「南海の龍」といわれる頼宣は甥の三代将軍家光の病状が悪い&四代目予定者はまだ幼児という状況にあって、天下への野望にめらめらざんす。それを嗅ぎつけてくっついてきた由比正雪と影で操ってる森意宗軒という図式ですが、結局政治的には家光危篤情報流して頼宣の動きを誘発した松平伊豆守にしめられて終わり、ということになるです。
森宗意軒曰く

『陰謀というものは、下が上にたくらむとはかぎらぬ。むしろ上が下に・・公儀が民にむかってたくらむことが多いものでござってな』(『魔界転生(下)』同版 P370)

今度の罪状は(公には問われることはありませんが)幕府の許しなくして武家諸法度の規定を超えた行列を組んで出府しようとしたこと。出府の時、もちろん規定違反と知っていながら行列組んできた頼宣の家臣は「御三家のすることだから通る」と信じて従っているのですが、全然とおりゃしない・・・。御三家だろうが、将軍の血族だろうが、幕府の決めた法を逸脱することは許されないし、法を揺るがせる可能性がある場合なら陰謀たくらまれて排除されるわけです。
頼宣の兄になる秀忠は、上に兄がいるにもかかわらず将軍となったのですが、家光はすったもんだの末、より優秀な弟ではなく長子相続というルールを絶対化して相続トラブルを回避するために家康が選んだ将軍です。頼宣はこの流れに逆行しようとすることになるんですが、血筋が正統のものであり、能力と意志があろうとも、長子相続はもう鉄壁の掟として動かない。能力と意志によって天下ゲットできた戦国時代とは違うし、幕府はこの変化を確たるものとするために実際の歴史においても転封取りつぶしがんがんやっているわけです。

『柳生』『魔界転生』の時代というのは、要するに規範というものが恐ろしく密になっていく時代、なにができてなにをしたいかではなく、どの家にどのように生まれたかが人生決める最大の要素になっていく時代であるわけです。『柳生』の場合は家臣の主家に対する、大名の幕府に対する自由が争点となり、『魔界転生』の場合はそれまではアバウトに判断されていた直系長子相続が争点となるわけです。
十兵衛様のように「おりる」ことは可能だけど、時代のちゃぶだいはみしみしと重くなり(能力しだいでなんでもできるってことになってる時代のちゃぶだいも別の重みを持ちますですが、まあさておき)。
ほんでこのような動きの中で十兵衛様、森意宗軒のようなちゃぶだいひっくり返せる人はなにをしているのか? といいますと、みずからの信ずるところによって行動しているのですが、十兵衛様は窈窕たる女人を助けているつもりが加藤明成断罪&徳川頼宣骨抜き方向に、森意宗軒に至っては骨肉相食ましめるつもりが長子相続ルールの安定化に一役買ってしまいますです。十兵衛様はちゃぶだいから降りてるつもりの人ですが、それでもなおみずからの性質とは合わない方向に動いてしまうわけざんす。そして森にいたってはちょっとブルー過ぎ・・・
ちゃぶだいを思想の上でひっくり返せる、ちゃぶだいから外れることができるということは、ちゃぶだいからの自由を意味するわけではござんせん。ちゃぶだいのちゃぶだいたるゆえんは、それを相対化してよーが呪っていようが、結果としてちゃぶだいという枠を維持しより強化していく方向にひとびとを配置していく力にこそあるわけざんす。

それを人は権力と呼んだりもしますです。もちろんこの「権力」とは松平伊豆守の陰謀とか幕府という行政機関とかの意味ではなく、それらを一つの結節点として配置し組み替えていくようなわけのわからんうにょうにょした力の織り目総体ざんす。(この場合はもはや「歴史」っていっちゃってもいいような気もするけど)

むしろ、柳生十兵衛という山風最大に大衆小説なヒーローは、権力批判として書かれたのではなかったのかとわけわからん深読みをしたくなるざんす。

ここでいつもより多めに脱線しますと、権力によってひとびとが配置されていくありさまの一つとして山風の戦中日記を読むことも可能かとも思います。具体的にどこの記述がどうとはいえないのですが。山風の場合は戦争体験とそれをどうとらえていくかという作業によって後の作品群を支える山風な思想、特に権力と支配に関するものがでてきたんじゃないかと思っていますが、どんなもんざんしょ。
また力の織り目の総体としての権力、という概念はちっとレビューの方にも書きましたが『同日同刻』がどうしてああいう方法論で書かれたのか、また明治物のためになぜあの明治を支えまた十五年戦争を支える人々を生み出す人々がやたらめったら交錯する方法論を発明したのかを理解するには核になると根拠あんまりなく確信。

とまあ『柳生』『魔界転生』って結構皮肉な構造だよね〜というまあそんだけの話なんですがところで! もう一作『死す』もありますですよ。(いえ、忘れていたわけでは・・・)
『死す』も大きな政治的争いが背景になっております。お題は天皇VS徳川幕府・・・徳川幕府と武士道は博物館入りしてますから何書いてもいいですが、天皇制は現役も現役、日本でなんかものを書くには一番地雷踏みやすい危険地帯です(笑)

『死す』では竹阿弥という世阿弥の血を引く能楽師が自作した能・「世阿弥」を入神の境地で演じていると、竹阿弥と世阿弥、また夢幻能と一脈通じる新陰流&陰流を遣い二人と親しい二人の十兵衛が室町時代と江戸時代で入れ替わってしまうというとんでもねえ装置が骨組みですが、室町時代(足利義満)のご先祖・十兵衛と江戸時代(『魔界転生』の後というよりは、別の平行宇宙での同時期ってかんじです)の子孫・十兵衛が交錯しますが、室町時代においては南北朝合体ののち、義満が女御と密通によって作った子を天皇に据え、さらにそのことを明らかにして天皇家乗っ取りをたくらんでおり、江戸時代では幕府によって権限をはく奪されお飾り化方向に追いつめられている後水尾上皇+頼宣+由比正雪が幕府転覆をたくらみってーことで両時代とも天皇家VS幕府の政争が展開されておりますです。
さてさてここで十兵衛がなにおしているかといいますと、室町時代では北朝方であり義満の子である後小松天皇と南朝方出身の公家の娘との間に生まれた一休さんといたいけな母・伊予を一休さんを目の敵にしている義満の子・青蓮院義円(後の五代将軍)らから守り、江戸時代では後水尾上皇の駆け引きのために女帝となり、また帝位すげかえで上皇となった月ノ輪の院となぜか上皇方に敵視されている十兵衛様のまな弟子であり宮の舎人となっている金春七郎を守るために働いています。
前2作では娘集団を誰をということはなく守る十兵衛でやんすが、今回は伊予と月ノ輪の院および息子一休と舎人七郎。江戸十兵衛は伊予に、室町十兵衛は月ノ輪の院に岡ぼれしてなんだかあやしげなことに・・・
ほんで自分が生きていた時代より数百年前の、また数百年後の幕府とかゆっても全然実感ないもんですから、政治的に斬ってはならないらしい・・・と知識はあっても、めんどくさくなると室町十兵衛は江戸の服部組ばかすか平気で殺戮するは、江戸十兵衛は青蓮院の僧兵やらなにやらばかすか殺すはいつもより多めにムチャクチャになってますです。
というわけで殺伐度が高い本作ですが、室町だろうと江戸だろうと連綿とあるのが皇室。途中までは一休さん(というより伊予)、月ノ輪の院を守るために働く二人の十兵衛ですが、最後の最後で皇室とその権威を守るために動きます。二度の時空移動の後、いちおう元に戻ったそれぞれの十兵衛は、室町では天覧能の場で天皇家乗っ取りを発表しようとする義満と後小松帝を阻止しようとして、義満が祖父と知った一休さんに阻まれ、江戸では駆け落ちしようとする月ノ輪の院と金春七郎を止めるために七郎を斬って逆上した月ノ輪の院と「乱心」した十兵衛を斬らなければ柳生家取りつぶしとの命を受けてやってきた弟・主膳他柳生の高弟の挟み撃ちになってしまいます。 そこでまたしても時空移動が始まり、今度は室町に行こうとする竹阿弥と今転移をおこされちゃまずい世阿弥の能対決となって、十兵衛様二人は室町と江戸のはざまのどこでもない場所で出会うのですが、ここで転移をしたら相手はいとも簡単に邪魔者を切り捨ててしまうと気づいて十兵衛対十兵衛と相成るのですが・・・

なぜ『死す』の十兵衛が十兵衛様ではないかというと、転移した後はハチャメチャというよりムチャクチャになってるわ、『柳生』では個人的な信義を重んじてかくもあざやかに徳川家や士道の価値をひっくりかえしてるのに、なぜか「天皇家」はひっくり返せさずに義の方を捨てに入っているというあたりなわけです。
十兵衛が死んだところで話は終わっているので、義満の乗っ取り、月ノ輪の院の逆上とおっそろしく緊迫した天皇制ピンチな場面はそのままになっているのですが、そのままになってる以上、なんだかしらないけど乗っ取りも中止、月ノ輪の院もおとなしく京に帰って余生を過ごしたんだろうなあ・・・収拾つくはずがないのに、収拾がついてしまってることになってるわけです

なんで十兵衛は天皇制だけはひっくり返せないのか、ピンチはどう収拾ついたのか、問おうにも問えないこの構成・・・それこそが天皇制という権力の特質なのかもおということでとっちらかったままこの稿終わりです。

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