吉野ヒロ子,2000,「『宅配毒物自殺事件』はどのように『事件』になったのか──マスメディアにおける『インターネット』言説の一例として──」,「社会情報研究」(社会情報学会)第4号,p141-151

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『宅配毒物自殺事件』は

どのように「事件」になったのか
──マスメディアにおける「インターネット」言説の一例として──

HOW COULD "THE SUICIDES WITH POISON PARCEL CASE" HAVE HAPPENED?

---An analysis of the Mass Media Dissertation of the Internet---

吉野 ヒロ子

YOSHINO Hiroko

早稲田大学大学院文学研究科 Graduate School of Literature of Waseda University

As the number of Internet users increases, reports by mass media about the Internet are also increasing. Their reports focus on various aspects of Internet activity (operations) such as, innovations, Internet crime, addiction to the Internet.

These reports not only introduce the Internet to the public, but sometimes,conflicting reports generate extensive discourse about the Internet.

In Japan in 1998, several people committed suicide with poison delivered by courier. I'll classify some types of discourses on Internet crime by Content Analisis, and show the relation between them and the way the Internet is presented in them.

キーワード:インターネット,マスコミ報道,言説,宅配毒物 自殺事件

Keywords: Internet, Mass Media report, discourse, "The Suicides with Poison Parcel Case"

1.「インターネット」言説という問題

 1994年の「インターネット元年」以来,インターネットの利用者は急増している.平成11年版通信白書では,10年度における15歳から69歳までの日本の利用者数は,約1,700万人と推計され,世帯普及率は11.0%,企業普及率は80.0%に達しており(郵政省,1999),社会の様々な局面でインターネットが浸透しつつある,と言えるだろう.

 それと符節をあわせて,従来のマスメディアの中での「インターネット」に関する報道も急増している.たとえば大宅文庫目録CD-ROM版では,雑 誌記事タイトルに「インターネット」という語を含む記事は,1994年には45件登録さ れているが,1997年には1100件と飛躍的に増大している(財団法人大宅壮一文庫, 1997;1998).このような増大はインターネット利用者の増加の結果であると共に, 原因となっているといえるだろう.それら報道の中には,インターネットを介して創 出される新しいビジネスや需要について報道するもの,ネットを介して行なわれる犯 罪やアディクション,個人情報の流出などインターネットの暗部について警鐘を鳴ら すもの,また実際ネット上で利用できるサービスの紹介や便利な使い方といった実用 的な情報など様々な視角が含まれている.

 吉見俊哉は「電話」「ラジオ」など電気通信技術が19世紀から20世紀にかけて社会に根づいていく過程を吟味し,新しいメディアが社会的現実に接合される過程を検討している.あるテクノロジーは,それが社会の中で有用性を与えられなければ,定着することはできない.たとえば「電話」という技術が応用されはじめた当初,コンサート会場などと結ぶ有線放送として使われるなど「放送」と「通信」が渾然となったメディアであったのだが,しだいにそれは「通信」的な一対一の情報伝達に限定され,私たちの生活に完全に根づいた.技術的な可能性をむしろ限定していく形で,これら電気通信技術は社会的に位置づけられていったのである(吉見,1998).

 このような観点からみれば,インターネットについての様々な報道は,単にインターネットに関する情報を提供するものではない.時には拮抗しあうテクストそれぞれが,インターネットというメディアを定義し,それを利用することでなにが生まれるのか,わたしたちの社会にどのように結びついていくのかといったイメージを生産し,結果としてインターlットという従来の「メディア」の感覚におさまりきらない奇妙ななにものかについての言説の膨大な流れをつくりあげていく.この流れを整理し検討することによって,私たちの社会がどのように「インターネット」というメディアを想像しているのか,またそこでのリアリティをどのように定義しているのか,といった問題に迫ることが出来るだろう.以下,インターネットと呼ばれる,ネットワークが相互接続された地球的規模のネットワークの総体そのものを指す場合にはインターネット,そのネットワークに関する言説によって産み出されるなんらかのイメージを「インターネット」としよう.

 このような視点から,「インターネット」に関する報道を読み直してみよう.インターネットにからんだ犯罪報道で提示される説明の不正確さがしばしば指摘されている1が,それは単純に記事を書く側の誤解に還元することはできない.不十分な説明あるいは誤解は「インターネット」という新しい奇妙な技術を社会がどのように想像しているか,その想像力の一つの反映として理解することもできるのである.

 ここでは,インターネット関連の犯罪報道の例として,1998年末から1999年にかけて社会問題として取り扱われた通称「宅配毒物自殺事件」あるいは「ドクター・キリコ事件」に関する報道を取り上げてみよう.この事件は二つの意味で「インターネット」にかかわっているといえる.一つはインターネットを部分的な媒介にして形成された人間関係の中で起きた事件だったということ,もう一つは捜査が進むにつれて事件性が薄いと判断されたこの事件が「インターネット」にかかわっていたからこそマスコミなどで大きく取り上げられたという側面が強いことである.

 

2.『宅配毒物自殺事件』関連の報道の流れ

 では,「宅配毒物自殺事件」あるいは「ドクター・キリコ事件」はどのように報道されたのだろうか.またインターネット上ではどのような反応がみられたのだろうか.関連書籍の出版なども合わせて考えてみよう.

 まず簡単な事実関係を整理しておこう.「宅配毒物自殺事件」の事件の中核となる事実は2つの自殺事件である.1998年12月12日に「杉並区女性」がインターネット上の掲示板で「ドクター・キリコ」と名乗って薬の情報を提供していた「北海道男性」(同じく新聞報道の表現.以下,問題の男性が使っていたインターネット上の名前であり雑誌やテレビの報道,書籍などで使われた「草壁竜次」で統一する)から宅急便で届けられたシアン化カリウムを飲んで服毒自殺を計る.同月15日に「杉並区女性」が死亡し,宅急便の伝票に書かれたPHSの番号に「杉並区女性」の治療に当たっていた医師が問い合わせたことから服毒を知った「草壁竜次」もシアン化カリウムで服毒自殺する.「杉並区女性」の事件を捜査していた高井戸署は「草壁竜次」を特定できず,同月24日に公開捜査に踏み切る.

 翌25日に「草壁竜次」の知人が警察に通報し,すでに「草壁竜次」が亡くなっていたことが判明する.「草壁竜次」が所持していたはずの残りのシアン化カリウムの行方,また他の購入者の特定など捜査が進められ,1999年1月27日に「草壁竜次」が被疑者死亡のまま自殺幇助罪で書類送検され,捜査が終了する.

 公開捜査がはじまった12月24日から31日にかけて,新聞・テレビは大々的に,かつセンセーショナルにこの事件を取り上げている.12月25日朝刊では,まず一面で「宅配毒物で自殺ほう助容疑警視庁捜査ネット通じ注文か」(朝日新聞,1998.12.25,1面)など第一報が入り,社会面に「毒物宅配事件自殺情報あふれるネットで自在に入手」(朝日新聞,1998.12.25,朝刊27面)とインターネットの自殺情報の氾濫が話題にされている.その後捜査の進展につれて,「草壁竜次」が自殺を主題としたホームページの掲示板などで知りあった7名の男女に毒物を送付していたことが明らかになり,「毒ネット深いやみ」(朝日新聞,1998.12.26,朝刊27面),「ネットが演出“死の連鎖”」(読売新聞,1999.12.26,夕刊15面)など,事件そのものよりも「インターネット」上の自殺情報や薬物取引の問題が取り上げられている.この事件の関連記事は朝夕刊合わせて朝日新聞で33件,読売新聞で28件,毎日新聞で27件報道されている.(図1参照 [注1]

 現在からでは検証しにくいが,テレビでも新聞報道と同期する形で1998年末にかけてニュースやワイドショーで頻繁に取り上げられていた.この事件の報道を批判したホームyージでは,その報道ぶりは「ドクターキリコこと草壁竜次(ハンドル名)はカルト的な自殺教の教祖であり,金儲けのために自分がホームページを作成した上で,インターネット上の掲示板で青酸カリを売りまくり掲示板で知り合ったあや(ハンドル名)と電脳心中を行った」とまとめられている(ANSOC).また「草壁竜次」からシアン化カリウムを購入していた女性の遺族など関係者もテレビでとりあげられていたようである(VARISの鬱病観察日記).

このような報道の文脈に対して,問題となったホームページの制作者でありシアン化カリウムの購入者である「練馬区女性」が,朝日新聞にコメントし(「青酸カリはお守り購入女性『いつでも死ねるからもう少し頑張ろうと』」(朝日新聞,1998.12.28,夕刊19面),長文の声明文をホームページに置いている.

インターネット上でもこの事件は高い関心を呼んだ.サーチエンジン「infoseek」の1998年12月23日から1999年1月5日にかけての検索キーワード集計では,「自殺」が83万件,「ドクター・キリコ」が54万件,「青酸カリ」が9万件,「草壁竜次」が8万件検索されている(週刊アスキー,1999.1.27,15頁).また時事系のメールマガジンなどでもマスコミの報道ぶりが批判的に検討され(サイバッチ!,1998.12.29),サーバー管理会社に消去された問題のホームページや掲示板があちこちに転載されていたようだ(「自殺ホームページ増殖 同名の“復刻版”登場」読売新聞,1998.12.27,夕刊 27面;「青酸カリ自殺事件報道にネットワーカー反発」,週刊アスキー,1999.1.27,14頁).

 新聞・テレビでの事件の報道は1998年末でほぼ終息するが,年があけた1999年1月から雑誌での報道がはじまる.大宅壮一文庫データベースで「インターネットセイサンタクハイジサツ」というキーワードに登録されたものは26件,それに「青酸」と「インターネット」「犯罪」でクロス検索をかけてヒットした記事と関連書籍で言及されている雑誌記事を合わせて重複を除くと33件となる.媒体は週刊誌・女性週刊誌・総合誌と多岐にわたっている.(図2参照[注2]

 これら雑誌記事の文脈はおおむね1998年12月の新聞報道を土台にしたものだが,おおまかに2 つに分けられる.ひとつは,たとえば「毒カプセル宅配 インターネットの深い闇」(週刊読売, 1999.1.17, 142-143頁)のように, 「草壁竜次」の行為の犯罪性を強調し,また「インターネット」を匿名性を盾にとっ た,簡単に違法な取引を行うことが出来る危険地帯として描くものである.もう一つ は,「青酸カリはいつでも死ねる私のお守り 宅配青酸カリ事件で浮かび上がった,若者たちの“死のネット ワーク”」(女性自身,1999.1.19,211-213頁)など「練馬区女性」など関係者の証言をも とに「草壁竜次」らの行為の論理を再構築しようとするものである.そこでは問題と なった掲示板も,違法な薬物取引の場ではなく孤立した自殺念慮者が支え合う共同体 として描かれる.さらに二月にはいると,センセーショナルな報道を批判的にとら え,誤情報を訂正しようとする記事も目に付く.

 そして1999年春から「草壁竜次」関係 者を中心とした単行本が3冊出版される.「練馬区女性」へのメールによる取材から 心理カウンセラーが「草壁竜次」を再構成した本(矢幡,1999),「練馬区女性」が 「草壁竜次」とのかかわりを中心に書いた本(美智子,1999),「草壁竜次」「練馬 区女性」とインターネット上などで接触をもっていたライターによる事件の事実関係 を整理することを目標とした本(相田,1999)である.またテレビでも,TBS「報道 特集」(1999.4.18)では,数ヶ月におよぶ取材に基づいて,「草壁竜次」の遺族と 「練馬区女性」の証言を中心に,事件を自殺念慮者の共同体でおきた悲劇として再構 成しようとする文脈で事件を取り上げでいる(与奈原,1999).

 ではこの事件はどのように語られていたのだろうか.次章で 詳しく検討してみよう.

 

3.「マスコミ側」の言説対「インターネット側」の言説

 この一連の報道の特徴は,特に初期には正確性を欠いた報道が行われたことである.たとえば第一報となった「FNNニュースジャパン」で「インターネットで『自殺』という単語を検索すると2万件もある」とコメントされたために,それを引用・再引用した報道の中では「自殺」を主題としたホームページが2万件あるという誤解がされ(美智子,1999),また主にテレビ報道で取り上げられた,事件は「杉並区女性」と「草壁竜次」の心中であるとする「電脳心中説」は,両人の死亡時刻が偶然近接していたことを利用したでっちあげを検証せずに取り上げたものであったことがインターネット上および雑誌報道で批判されている(ANSOC;サイバッチ!;「大手マスコミが書かない『ドクター・キリコ』事件の真相」財界展望,1999.3,138-141頁).

 もう一つの特徴は,事件当初の報道に反論するかたちで「インターネット側の言説」とでも言うべき,「草壁竜次」らとインターネット上で接触していた人物の証言や「インターネット利用者の常識」からみた事件像を示す声明文や日記がホームページのかたちで公開され,その内容に立脚した記事や出版が相次いだことである.冒頭に述べたように,インターネット利用者が増加し,またその表現力が成熟するにつれて,マスコミへの影響力は無視できないものになっている.従来は犯罪事件などの関係者はコメントを発することは出来ても,それがどのようなかたちで発表されるのかについてはマスコミの倫理に依存するほかなかった.しかしインターネット上で当事者自身が反論する,また報道被害のあり様をそのまま日記に公開していくといった新しい手法も,この事件の関係者は使っている.この事件をめぐる言説の交錯は,日本におけるメディアとしてのインターネットの成熟の一つのメルクマールとして捉えることも出来るだろう.

 もちろん「『インターネット側』の言説」と呼びうる言説が一枚岩であるわけではない.「草壁竜次」の人となりを自らの視点から語り直そうとする「練馬区女性」の言説と,インターネット利用者としての実感から過剰なマスコミ報道を憂う,といった言説では事件へのコミットメントがそもそも異なる.しかしそれらはマスコミの報道を参照しつつ批判し,なんらかの「実感」から「真実」を語ることによって,マスメディアでの報道を「インターネット」というメディアの様相を知らない言説として定義し,その結果,自らの言説をネットという世界の真実を知っている言説として再帰的に定義するという姿勢においてひとつの大きなベクトルを形成しているのである.

 「宅配毒物自殺事件」に関する言説は「インターネット側の言説」によって2つに区分けされているのである.インターネットに巻き込まれているというリアリティを根拠として発せられる言説と,リアリティの外部から部外者として事件を報道するという言説である.仮に前者を「インターネット側」の言説,それと対置されるマスコミの報道を「マスコミ側」の言説と呼んでみよう.この二つの立場はそれぞれ「インターネット」なりこの事件を擁護しようとする言説,「インターネット」を「悪所」として告発しまた「疎外」の場として想定しようとする言説,とも言い換えることができるが,単に対立しあうというよりは,この事件がどのようなものだったのか,あるいは「インターネット」とはどのようなものなのか,という問題をめぐって争いながら相互に参照しあう関係にあるのである.

 もちろんこの大きな立場の差異にくわえて,このあいまいな事件のどのような視角から取り上げるかで報道の文脈は異なってくる.また記述の量が多い場合は一つの記事の中にいくつかの言説が埋め込まれている場合もある.以下文脈の違いにわけて,「宅配毒物事件」報道に内包された言説の流れを検討していこう.

3−(1)「マスコミ側」の言説(1):
      「ドクター・キリコ」と「毒ネット 深いやみ」

             (朝日新聞 1998.12.26,夕刊27面)

 第一報以降,先述したように「草壁竜次」を「死の商人」として事件をまず理解しようとする報道が行なわれていた.たとえば,「草壁竜次」の「ガールフレンド」の「知人」の言葉の引用として提示されている「彼女が『どうしてそんなに薬に詳しいの?』と訊ねると,橋本さんは“薬は金になるから”と答えたそうです」(「インターネット毒物宅配送り主『Dr.キリコ』の素顔『薬は金になるから』と…」,Focus,1999.1.13,77頁)といった記述は,「金めあて」による違法取引という解釈図式が透けて見える.「草壁竜次」の人物像も,「知人」の証言するエキセントリックなエピソードが強調されている.同誌1999年8月の記事では「同級生」の言葉の引用として「小学校のときから自分用のパソコンを持ち,ゲーセン好きのオタクだった」と「コンピュータ犯罪者」にふさわしいプロフィールが提示され,「知人」の伝聞情報として大麻栽培経験が言及されるなど「違法な薬物取引」にふさわしいエピソードが配置されている(「Xファイルの主役インターネットで毒物宅配『ドクター・キリコ』の犯罪」FOCUS臨時増刊,1999.8.23,28-29頁).

 このような文脈では報道の焦点となった「インターネット」も危険な情報が無秩序にはんらんする場として表象され,そこで提示されている情報そのものが問題にされる.読売新聞では,「一方,検索専門ページで『自殺』をキーワードにすると2万4千件以上のページがある」と自殺についての情報量の多さを示している(「ネットが演出“死の連鎖”過激内容,安易に拡散“判断停止”する危険も」,読売新聞,1998.12.26夕刊15面).

 また,サーバー管理会社の判断で削除された関係者が書き込みをしていた掲示板,その母体となったホームページの内容をコピーした「復刻版」が登場していたことも問題として取り上げられる.「同様の現象は神戸市須磨区の小学生殺傷事件の際も見られ,度を越した情報がとめどなく増殖していく『電脳世界』の落とし穴が改めて浮き彫りになった.インターネットの匿名社会で引き起こされる『暴走』の危険性を指摘する声も強まっている.」(読売新聞,前出).

 さらに「インターネット」を接続さえすれば違法な薬物などを買うことができる一種の「悪所」として扇情的に提示するものもある.1999年1月下旬から2月上旬の日付で発行された週刊誌の中で,「しのびよる『インターネット裏社会』の恐怖たった数分でレイプ依頼からプライバシー・秘密暴露まで!」(女性自身,99.2.2,60-62頁)など「インターネット」の過激さを主題とした記事は女性週刊誌2件・一般週刊誌2件となっている.

このタイプの言説の中では,「草壁竜次」はいびつな人格をもつ犯罪者として,また「インターネット」は過激な情報が無秩序に飛び交う「無法地帯」として表象されている.そしてこのような「悪所」としての「インターネット」像を強調する言説は,その無法ぶりをインターネットの匿名性に還元し,往々にして実名発信制の必要性などを主張している.

3−(2)「インターネット側」の言説:
      「保管委託」と「希死者たちの共同体」
      

 このような報道に対して,報道文中の表現を引用しながら,事実関係の誤認の訂正や批判がインターネット上,または雑誌などの媒体で相次いで行なわれた(ANSOC;サイバッチ!,前出;財界展望,前出;相田,1999).

 そこで事実関係の誤認としてあげられているのは,まずワイドショーなどテレビ報道で過熱していた「電脳心中説」が虚構であるという点である[注3].「自殺に関するホームページが2万件」と誤解されかねない表現,また誤解して報道してしまった媒体には特に手厳しい批判がされている.これらの指摘には,インターネットでの情報の収集の仕方をある程度知っていればすぐわかるはずのことを,なぜ確認せずに誤ったかたちのまま報道するのかというインターネット利用者のいらだちと「インターネット」なるものをことさらにおどろおどろしい空間として描こうとする「マスコミ側」の言説への不信がみてとれる.シアン化カリウム購入者の一人の遺族は,手記を週刊誌上に発表するにあたって,「私がここに手記を発表するのは,ネットに接続できない方にも『真実』を知っていただきたいからです」(「独占スクープドクター・キリコ事件『自殺女性の夫』独占手記」週刊文春,1999.1.14,26-29頁)と述べている.またインターネットが危険地帯とみなされ,そのイメージを根拠として実名性の義務づけや検閲など規制が強化されるのではないかといった危惧は,先述したように多くのホームページや掲示板で広く共有されていた.

 このような不正確な「インターネット」報道へのいらだちは,たとえば神戸小学生殺傷事件の被疑者の個人情報がインターネット上に流れた事件などでもみられたものである.しかしこの事件の報道では,そのような「いいかげんさ」への不快感や事実関係の訂正だけではなく,もっと積極的に「インターネット側」からみた「現実」を語ろうとし,そしてまたそれを理解しようとする記事が目につく.たとえば「週刊アスキー」の連載コラムでは,問題となった掲示板のログ,また鮪档Cンターネット上で公開されていた「練馬区女性」の声明文を引用しつつ,希死者たちの共同体を描こうとしている.そこでは「草壁竜次」は「薄ら笑いを浮かべて薬を売る悪魔的な人物ではさらにない.自分の感情を明かすのは不得意だが,心の底はやさしく,しかしあまり融通のきかない性格で,自信過剰ぎみの性格といった感じだ.」と記述されている(「仮想報道/失われた自殺志願者の共同体“ドクター・キリコ”青酸宅配事件」週刊アスキー,1999.1.27,108頁).

 このような記述の根拠となるのは,「草壁竜次」を擁護し「代弁」するために積極的にマスコミに登場した,自身もシアン化カリウムを購入していた「練馬区女性」の証言である.彼女は「草壁竜次」からのメールや電話でのやりとりを引用しつつ,当事者にとっての現実を語ることによって批判する.そこでは,シアン化カリウムは安易に自殺するために売られたものではなく,重度のうつ病患者に生活の状況や病状をメールや電話などで確認した上で「保管」を「委託」するというかたちで送付される“EC(Emergency capsule)”と名付けられた,薬物乱用や自殺抑止のための逆説的な「お守り」であったとされる.そして「草壁竜次」は自身も自殺衝動から「EC」によって身を守りつつ,法に抵触することを覚悟しながら,「EC」というシステムを最後の手段として提供する「聖人」として描かれる.

 この「練馬区女性」の証言を基盤とした,「草壁竜次」はカウンセラー的な役割を果たしていたのだとする論理はある意味で「死の商人」(SPA!,前出)による違法な毒物売買という当初のストーリーよりも強力な筋立てであった.「草壁竜次」が特定された時点ですでに自殺していることが判明し,「死の商人」という枠組みは糾弾する相手を見失うことになったこと,また「自殺」に寛容であり,究極的な引責の一つのかたちとしても認識される日本社会では,「犯人」の自殺という事実は「悪魔的な人物」というイメージから逸脱する事実でもある.さらに,次節でとりあげるが,単に「違法な取引ができる」とするよりも,「インターネット」の特異性を強調しやすいのである.

彼女のこの物語は,電話によるインタビューによって語られ朝日新聞に掲載され(朝日新聞:前出),自身によって編集されてホームページ上で声明文として公表されていた.この2つのテクストを土台としたものは,「ドクター・キリコの『命名者』を名乗る主婦の告白」(週刊ポスト,1999.1.29,59頁)など,中心的に取り上げたものだけでも9件の記事を数えることができる.

 そしてこのような「草壁竜次」像をうけて,彼の行為も「この言葉通りなら(「練馬区女性」の声明文を指す),草壁が青酸カリを宅配した動機は,少々歪んではいるものの,『人助け』になる」(週刊文春,前出)と留保つきながら評価されることになる.さらに女性週刊誌では「彼は病を同じくする人たちに,凄惨な飛び降り自殺などより容易に見える『薬物による自殺』を思いとどまらせる役割を果たすことで,自らの“自殺願望”に封印をしていたのではなかったか.彼らは薬物のやり取りを通して,一種の共同体としてつながっていたのだ」(「青酸宅配インターネット毒物心中事件を追う!『ドクター・キリコ』闇の素顔!先生と呼ばれた男,草壁竜次_札幌発」週刊女性,1999.1.19,33-35頁)とされる.

 「薬の売人」ではなく「カウンセラー」としての「草壁竜次」像に対して,インターネットの評価も先に述べた「マスコミ側」の言説におけるそれとは異なったものになる.「自殺系」ホームページやそれに設置された掲示板は「インターネットによって初めて,こうした心の病を抱えた人々が広範に,かつ簡単に知りあい,互いに自分のことを訊いてもらうなどの交流が可能になり,人によっては癒しになるということは特筆すべきことだ」(文芸春秋,前出)と評価されている.「インターネット」は,自殺志願者に安易に毒物を提供する,または自殺するための情報を与え衝動を無責任に煽るものではなく,むしろ死なないための貴重な交流の場であり,また「違法な毒物売買」そのものも,双務的に「死なない」契約を結ぶことによって互いを自殺衝動から守ろうとする試みだった,かもしれないということになる.

 この「練馬区女性」の言説は,雑誌・テレビ・単行本などマスメディア上でも広く引用されている.この文脈の中では「草壁竜次」は一種の聖人となり,「インターネット」は孤立した人々の癒しの場として描かれる.同時にこの文脈は,従来のインターネット利用者の側からの「インターネット」報道批判と合流することによって,先の「マスコミ側」の言説の流れを「インターネット」の報道としてもこの事件の報道としても不当なものとして位置づけ,「インターネット」とはどのようなものなのか,そしてこの事件の流れの中でなにが起こっていたのか「真実」を提示しうる言説としてみずからを再帰的に定義するのである.

 

3−(3)「マスコミ側」の言説(2):
      「身近な世界」からの疎外としての「仮想空間」

 「マスコミ」の扇情的なスタイルや情報不足を批判して「ほんとうに起ったこと」を提示しようとする「インターネット側」の言説によって「悪の巣窟」としての「インターネット」,また「ネットで毒売って金もうけ」としての「宅配毒物自殺事件」は否定される(週刊文春,前出;美智子,1999,24頁).

「インターネット」側の言説,なかんづく「練馬区女性」の言説は多くのマスメディアに引用され,この事件を理解する土台とされるが,そこでは別の「インターネット」を病理化する戦略が現れる.焦点は「インターネット側」の言説が提示する論理をどう評価していくのかという問題にシフトするのである.

たとえば,「自殺系ページの[必然]」と題された記事では,「自殺系ホームページ」やそれに設置された掲示板を参照し,「練馬区女性」の声明文を引用しながら事件を「『死にたい』との悩みを利用者同士が語り合う場」で起きた悲劇と位置づけているが,「裏を返せば,それだけリアルな身近に,告白できる『誰か』がいないということなのかもしれない.(略)もはやヴァーチャルこそが若者のリアルであり,その変容は『必然』である──そうした現実を直視することが『自殺系』HPと,今回の事件を考える第一歩なのだろう」と結んでいる(SPA!,1999.1.20,20-21頁).このような言説が背景にしているのは,「インターネット」=「仮想世界」とする枠組みである.また朝日新聞は同時期に起こった伝言ダイヤル昏睡強盗事件とあわせて,「匿名性」を特徴とするメディアの危険性を訴える社説を掲載している.そこではこれらメディアが求められる背景が「人間関係をつくっていくのは容易なことではない.自分をさらけ出さなければならないこともあるし,気持ちの行き違いもある.いっそ遠くの世界で人間関係を結びたいという欲求もあるはずだ」とされ,「身近な世界をまず実り豊かなものとし,その中から心の充足をえる.それが,まがいものにだまされないための第一の手だてではないだろうか」(「社説 『出会い』の落とし穴」朝日新聞,1999.1.8,夕刊5面)と結ばれている.

 これら言説の中では「匿名」で出会う「インターネット」の世界はヴァーチャルな世界であり,そうではない「身近」な世界(対面的なコミュニケーションを基盤とする関係)は「リアル」な世界として対置され,「ヴァーチャル」な世界への耽溺は,「リアル」な世界での疎外,または「リアル」な世界からの逃避に還元される.

 このような枠組にそって,「草壁竜次」の像もまた書き換えられる.やはり「練馬区女性」の声明文などを引用しながら,「でもなぜ彼は本名とは別に『草壁竜次』を名乗りつづけていたのか.また『ドクター・キリコ』として自分のことを『先生』と慕う“自殺志願者”たちに闇の素顔で接しつづけていたのか」といった記述には,「草壁竜次」をいわゆる「身近な世界」では表ざたにできないうしろぐらいものとして措定している(週刊女性,前出).このような記述は,コミュニケーションは「実名」でなされるべきものであるという信念と,インターネットで本名とは別の名前を使うこと,その名前で人間関係を作っていくこと自体を一つの病理としてイメージするような想像力を前提としていると言えるだろう.

 この文脈でまた「インターネット」というメディアの特性が問題となる.たとえば,「匿名性,人間関係の希薄さ,自身の言葉への責任の軽さ.反論もあろうが,この男性は,相談相手と直接会い,その目をみながら離しても,『○○グラムなら死ねる』と教えて青酸カリのカプセルを渡すことが出来ただろうか」(「ネットめぐる徹底議論必要」朝日新聞,1998.12.27,夕刊23面)といった記述では,「匿名性」がそこで交わされるコミュニケーション,そこで培われる人間関係をリアリティの薄いものにしているという「インターネット」観を前提としている.さらに「『そもそもインターネットは記号を通じての人間関係で,病的な合理主義が発達しやすい』(小田晋・国際医療福祉大学教授)」(「『自殺ネットワーク』なぜ20代ばかりなのか」週刊新潮,1999.1.14,24頁)と,精神医学など「権威」の言葉が引用され,「インターネット」そのものの利用が病理化される.

 「インターネット」は単に違法取引や犯罪に利用されるから危険なのではない.それを利用することそのものが「身近な」世界での疎外の証であり,またそこからの逃避に固着してしまう罠なのである[注4]

 しかしこの「疎外」は本当にインターネットという技術から本質的に生み出されてしまうようなものなのだろうか.たしかにインターネット上では,別の人格を演じることは容易である.だが人格のずらしやずれそのものは,「身近な世界」の中でも社会的役割の演じわけという意味ではありふれたことであるし,また,これら疎外論が疎外の原因として名指す匿名性はインターネットという技術によってあらかじめ保証されたものではない.インターネット上で個人情報の特定につながる痕跡をまったく残さずに活動することは不可能ではないにしろかなり難しいことである.その意味で「インターネット」言説が語る「匿名性」とはインターネットの本質というよりは,むしろ「匿名性」を批判する側がつむぎだし構成する概念なのである.

 ここで行なわれているのは,「インターネット」での経験を「ヴァーチャル」なもの,「身近」な世界よりもリアリティの薄い,疎外された空間として提示し,モニタに向かっている利用者が「身近な」世界を離脱しているわけではないという基本的な事実を無視し,そこでのリアリティを搾取する,ということであるとも言える.それは同時に,「インターネット側」の言説が提示する物語を一つの「事実」として承認し取り込みながら,それを「インターネット」という経験が一つの疎外であるという「真実」を提示するための素材として流用する,ということでもある.

4.「宅配毒物自殺事件」報道における
    「インターネット」をめぐる言説の配置

 ここでは「宅配毒物自殺事件」で現れた言説を,おおまかに「インターネット側」の言説,「マスコミ側」の言説にわけ,2つの言説の関係を記述してきた.

 「インターネット側」の言説は,「マスコミ側」の言説を情報不足のまま「インターネット」をことさらにおどろおどろしく描き出そうとするものだとして否定し,みずからの経験をもとにそこで起きた「真実」なり「インターネット」の実像なりを語ることによって,事件のイメージを書き換える権利を奪取しようとする.「マスコミ側」の言説は,それに対して「インターネット側」の言説が提示する事件の像を引用しながら,「インターネット」に関するトラブルを「現実」からの疎外に還元し,また「インターネット」の利用そのものを病理化する.つまり,この事件の報道の流れには.「インターネット」が,安易に危険なものを手に入れることができる技術であるのか,孤立した人々が支え合うことを可能にする技術であるのか,あるいはその利用が身近な現実での疎外を固着させる一種の嗜癖なのかといった問いをめぐって緊張が伏在しているのである。

 ここで私たちの問題関心にかえれば,「インターネット側」の言説は,従来からある単なるマスコミ批判や報道被害の告発ではない.それはただ「宅配毒物自殺事件」がどのような事件だったのかを語ろうとするものではない.この言説は,インターネットを利用するという経験を根拠として「マスコミ側」の言説に抗することによって,「インターネット」で起こっていることをどう捉えていくのかという問題にかかわってくる.言い換えれば,これら2つの言説は,相互に参照し,批判し,ある局面では依存しあいながら,「インターネット」なるものを表象しようとしているのである.

 もちろんこの闘争は「マスコミ側」と「インターネット側」と仮にここで名付けた言説の間だけで闘われているわけではない.国家が提示する「インターネット」をつかった教育のプラン,そしてCMC研究のようなアカデミックな領域で行なわれる分析もそれぞれが「インターネット」に関する言説なのである.

 「インターネット」とは地球規模で展開されたコンピュータ・ネットワークの上でからみあった言説の総体であり,「匿名性」などその特性として語られる性質,またそこで経験されるリアリティの枠組みはネットワーク技術としてのインターネットの本質に単純に還元されうるものではない.インターネットに関する言説は,インターネットという技術のありようを人々に提示し,そこで得られる経験の枠組みの形成にかかわり,さらにインターネットという技術の発展を方向づける.その意味で,利用実態やそこで交わされるコミュニケーションの問題だけでなく,「インターネット」言説の問題へのアプローチもまた必要ではないだろうか.



[注1]全国3紙(朝日・読売・毎日)の縮刷版から作成.1頁目に載っている記事は<第一面>,通常事件報道関連記事が掲載される裏表紙見返しに相当する頁に載っている記事は<社会面>,その他の頁に載っているものは<その他>とし,1998年12月25日から1999年1月14日までの記事をカウントした.この他に,朝日新聞では1月27日にそれまで判明した事実を整理する記事を社会面に1点掲載している.

[注2]雑誌は以下のように分けた.「一般週刊誌」に週刊文春・週刊新潮・週刊朝日・週刊読売・SPA!・週刊宝石・サンデー毎日・週刊ポスト,「女性週刊誌」に週刊女性・女性自身・女性セブン,「写真週刊誌」にFocus・FLASH,「総合誌」に新潮45・潮・文芸春秋,「その他」に週刊アスキー・QuickJapan・うわさの真相・財界展望・創・BIGtomorrow.

[注3]「電脳心中説」は問題となった掲示板「Dr.キリコの診察室」への,「あや」というハンドルネームによる書き込みを根拠としていたが,同掲示板のソースに残った「あや」のIPアドレスから死亡した「杉並区女性」が「あや」であるとは考えにくいことなどがこれら批判では主張されている.この情報は一般のブラウザで簡単に見ることができる.

[注4]いわば「インターネット疎外論」とも言えるこのような言説に対する批判も散見される(週刊文春,前出他).また「インターネット」のメディア特性としてまずあげられる「匿名性」の語られ方についても疑問がなげかけられる.相田くひをは,インターネットで完全に匿名性を保つことは技術的に非常に困難なことを指摘し,発信実名性を導入するとしても,実名を開示する技術は必ずそれを詐称する技術も生み出すと結論づけている.(相田,1999,175頁)

参考・引用文献

(URLは1999年11月末日.資料とした新聞・雑誌記事については文中に書誌情報を示した)

各文献へのコメントはHTML版公開時につけたしたものです。

阿部潔(1997):「電子メディア/ネットワークを巡る言説のポリティックス──『テクノロジーによる呼びかけ』としてのネティズン」,情報研究第7号 37-74頁
「ネティズン論」を言説として分析してみようという論文。修論の要約でしょうか。まじよしの好みの問題設定&展開で、ぜひ阿部さんとは一度トークしてみたいもの……

相田くひを(1999):『インターネット自殺毒本』,マイクロデザイン出版局
宅配毒物自殺事件の流れを整理したご本。事件前から草薙竜次(北海道男性)や美智子交合(練馬区女性)とおぼろに自殺系掲示板とかで接触していたライターさんが書いてます。なんでこのタイトルなのかはまったく腑に落ちませんが、読んだ感じ、関連報道や関連本では一番まともそうな本。

ANSOC:http://www2u.biglobe.ne.jp/~ansoc/

財団法人大宅壮一文庫(1997):『大宅壮一文庫雑誌記事索引CD −ROM 1992-1996』,紀伊国屋書店.

財団法人大宅壮一文庫(1998):『大宅壮一文庫雑誌記事索引CD−ROM 1997』,紀伊国屋書店.

サイバッチ!(1998): 98.12.29日号, http://member.nifty.ne.jp/~cybazzi/back_number/98_12/1229.html

河上一郎(1998):『サイバー・スペースからの挑戦状』,雷韻出版
UG系大御所他との対談集が中心。彼等のネット観とか、紙媒体で言及できる貴重な資料ざます。最初の方で、朝日新聞のインタネットねたを内容分析してるところがあって、かなりうけました。ソコ。

美智子交合(1999):『わたしが死んでもよい理由』,太田出版
論文中の「練馬区女性」が、宅配毒物自殺事件および、自殺系ホームページ制作にいたった自らの人生をトークする本。ほぼ同世代でいくつか共通項もないではないよしの的にはかなりはまれました…。一時期、結構文体移ってたしなあ…
かんなり面白い本ですが、毒は深いので体力あるときに読みましょう。
しっかしこの人、ひじょーに頭いい&まじ面白いのですが、今なにやってるんでしょうか。彼女の書いたものもっと読みたいぞよ…ご存知の方いらしたら乞うご一報

佐藤俊樹(1998):『近代の夢,ノイマンの欲望──情報化社会を解体する』,講談社選書メチエ
「情報化社会」で人間そんなにかわるのかよ?というツッコミを入れてくれるご本。するする読めますんで、「情報化社会」煽って食おうとしている輩に無駄金突っ込みたくない方には、一読お勧め。

Turkle, Sherry.(1984): Life on the Screen: Identity in the Age of the Internet, Simon and Schuster =(1998)日暮雅通訳『接続された心』早川書房
CMC研究ではすっげー有名なタークルの本です。心理学っていう枠のせいもあって、話がどうもいんたねっと疎外論からみになってしまうのがだるいのですが(彼女自身は単純な疎外論者ではないけど)、お約束文献。

VARISの鬱病観察日記:http://www.geocities.co.jp/HeartLand/4352/http://www.geocities.co.jp/HeartLand/4352/
文中の「足立区女性」(HPでは「嬢ちゃん」)のだんなさんのHPです。たしかこのHP、かんなり大昔にネット友に紹介されて見たことがありまして、そんときに友はVARISさんは奥さんに冷たいんじゃないかとかぶつぶつゆってましたが、身内が心の病やらかしてくれたことのあるよしのは、そんなことは全然ない!と断言した思い出とかもありますが、全然関係ないです。
これも要体力か。

矢幡洋(1999):『Dr.キリコの贈り物』,河出書房新社
この事件関連本で、ほとんど「とんでも本」の域に入ってる本かもぉ…
「練馬区女性」へのメールによるインタビューからカウンセラ兼ライターである同氏が、再構成した♪ノンフィクションのベルというかなんかそういう路線を名乗っている本なのですが、作中「彩子」という名前で出てくる繊細きわまりない女性が、『わたしが死んでもよい理由』書いた美智子交合だとはお釈迦様でも気がつくまい……

郵政省(1999):「通信白書平成11年版」, http://www.mpt.go.jp/policyreports/japanese/papers/

与奈原恵(1999):「ドクター・キリコ事件総括! 青酸カリを求めた人びととの遭遇!!」,別冊宝島445,24-33頁
ていうか、要するに美智子交合にインタビュー申し込んだけどばっくれられて、仕方がないから事件って彼女が紡ぎまくった物語になっちゃったよね…という言わずもがなのことが指摘してある、話。
たしかどっかで交合に罵倒されていたような気がするけどどこだったっけ。

吉見俊哉(1998):『声の資本主義──電話・ラジオ・蓄音機 の社会史』,講談社選書メチエ
平明に音声メディアの社会史論じた名著。
ラジオ創成期の話とか、初期からのユーザーでいんたねっとをこよなく愛する方には、ふむふむと共感しながら読んでいただけるかも。

 

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