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1999.7.1更新

今までの業績リスト

そしていきなり以下論文&学会発表ご紹介

タイトルクリックで本文のファイルに行きます。
400字換算50枚前後ありますので、そーすでsaveしてオフラインでご覧ください。プリントアウトしていただいた方がいっかもね・・(目が死にます)
文献には今回つけ加えた役に立たないコメントがついておりますのでご参考に


「Dieting on line──「日記系」ホームページを作るとはどのようなことなのか・公開ダイエットを例に──」

 
HTML版PDF版(要Acrobat Reader)
やたらめったら長い副題です。お題は「公開ダイエット」ととりあえず呼ばれている、インターネット上でダイエット日記を公開していくタイプのページ。実際自分も某所でやったのですが、笑っちゃうくらい効いてしまいました・・(笑) 自分の生活にうまくはまったというのがでかいのですが、それにしてもなんでこんなにダイエットするのに推進力爆発なんだろう・・という例によってよしの身の回りネタです。
この発表での問題意識は二つあって、「日記系」ホームページ作るって、作ってる人、読んでる人の生活のなかでどういう意味があるんだろうってーのと、「公開ダイエット」してる人のダイエットってインタネット介してどう変っているんだろーと。そのへんからネットやることってどういう意味があるんやーという問いに一つ答えだされんかなーとか思っていたのでした、が・・
二兎を追うものは一兎もゲットできなかったりするのがさだめですが、見事はまったかもしれない(脱力)
今回は公開ダイエットなさっている方たちにメールでアンケートお願いしたりしましたんで、そのあたりでもみていただければ・・(汗)
近日中に問題意識から問いの前提から含めてもっとわかりやすい文体のバージョンをご用意してみたんですが・・

第47回関東社会学会自由報告部会にて発表(99.6.12)


「現実の十分な複雑さ---チャット(IRC)という意味領域---」

CMC研究って理系と文系がはっきりわかれてて、文系CMC研究者はたいていどっかのCMC共同体を参与観察したり、ログの分析していたりで、それはそれでもちろん面白い分析が出てくるんだけれど、しかーしそういうコンテンツの問題だけでなく、クライアントのインターフェース自体に突っ込みをいれてもおもろいんやないか、というのが発想の発端。でも例によって勉強してないのがよくわかる展開不足さ加減。とほほのほー

杉本君ありがとう!PDF版(決定稿)はこちらです。

ソシオロジカル・ペーパーズ(早稲田大学院生研究会)7号(1998)発表

なにやら大川賞佳作というものもいただいてしまいました☆


「テクストのエスノメソドロジー──D.スミス・A.マクホールを中心に──」

「会話分析」か「ワークの研究」かというエスノ業界で離れ小島のようにテクスト分析にとりくんでいるかもしんない二人を御紹介。スミスは「事実報告」って「現実」に起こったことを伝えるテクストの戦略、マクホールはもっと文学な「読み」を違背実験とかやって遊んでいる人です。っつーて、エスノやってるやつだったらこんぐらいチェックしてなかったのよしのだけだよー、という超使えないペーパー。山風の読み過ぎで勉強してないのがよくわかります(汗)まあ、社会学でテクスト扱うためには一度まとめておくべしと思ったのだが、いかんせん文献リストろくでもないっつう・・・今まで書いた中でもっとも幸薄い論文。

早稲田大学文学研究科紀要<人文・哲学編>48号(1997)発表


 
 
「激やせという病〜女性週刊誌における『やせること』の意味」
 
宮沢りえ他がやられた「激やせ報道」分析。この論文はじめたきっかけは「激やせ報道」あまりにひでえと中吊り広告見ててキレたこと。「激やせ」という言葉は「拒食症」というニュアンスで使われる一方、ダイエット商品の広告に「よく効く/やせる」くらいのニュアンスで使われていたりもするのだけど、「拒食症」と「ダイエット」は現象的にはかなり接近している部分も多いのだけど、でも社会的評価はまったく逆というわけわかんない関係にあったりする。で、そのわけわかんなさというのは「激やせ」という言葉の用法見ていくとだんだんわかってきたりもするんじゃないかというお話。
あと「激やせ報道」はどのように記述されているのかという問題意識もあり、構成かなりぐちゃぐちゃしていたりもするが、すべての「やせなくちゃ」と思ったことのある人に勝手に捧げる。

年報社会学(関東社会学会)10号(1997)発表


 

「犯人は告白する〜推理小説の社会学」
 
「フィクションに対する態度」の応用編。推理小説というジャンルはいろんなルールを含んでいるのだけど、そのルールは単にゲームとしての推理小説を保証するだけじゃなくて、推理小説の中にある種の歴史的に限定された共同性の形式を持ち込んでいるんじゃないかという主張。推理小説論としては目新しいんじゃないかと思っているけど、不勉強なのでアヤしい。ほんとは「フィクション」の領域と「現実」の領域の間の関係を歴史的視点からどうとらえたらいいかを考えたかったのだが力及ばず無念。京極夏彦の諸作品にインスパイアされた部分が大きいので、好き者には読んでほしい一本。
 
ソシオロジカル・ペーパーズ(早稲田大学院生研究会)6号(1997)発表

 

「フィクションに対する態度〜〜A・シュッツの文学分析への一考察」
 

修士論文の前半を要約したもの。昔ためこんだ「おたくバッシング」記事で、お約束のように「おたくはメディアにはまってばっかで人と人とのコミュニケーションがないからいかん」云々の発言がされていたのだけど、なんでそんなに「人と人とのコミュニケーション」が大事なんかようわからんわいと思ったのがきっかけ。この手の発言には、メディア経験と「人と人との」経験は質が違うという認識、そんでもってただ違うだけでなくリアリティの重みという差があるという認識が入っているわけだけど、なんで「人と人」は大事なことになってんのかということを、アルフレッド・シュッツ(現象学的社会学)の理論および文芸形式の分析を通して「人と人」を重視する見方に含まれる共同性の形式をつらつら考えて見たもの。わしらのメディア経験の位置づけ方を問うっちゅうことやね。というわけで活字媒体のフィクションが中心だけど、そのうちネットとか電子メディアバージョンも書いてみたいところ。

社会学年誌(早稲田社会学会)37号(1996)発表


 
「ポルノグラフィ〜〜『女性』カテゴリーとフェミニズム」(研究ノート)
 

大昔(94年)に身内院生雑誌に書いた研究ノート。これを書いた当時はまじでポルノグラフィの受容論したかったのだが、いかんせんよしのさんの問題関心からは死ぬほど調査しにくいものになってしまったので挫折。要はポルノグラフィとポルノ批判の言説は同じ形式で「女性」カテゴリーを利用してるっつーか搾取してるっつーか、まあそういうことしてるんちゃうのーというところ。 文献に関してはどういうものだったかほとんど忘却しているのでコメントないです。いきなり企画倒してどおする(涙)

ソシオロジカル・ペーパーズ(早稲田大学院生研究会)第三号(1994)発表


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