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特性のない美女

──あるいは理解してしまう、ことの不幸

──「しかし、あなたの美しさは、そういうことをなさる値うちがある」(「赤い靴」)

 推理小説作品です。私見ではこの小説の眼目は個々の犯罪やらトリックやらにあるのではなく、潘金蓮という美女の謎にあると信じますんで、そのへんご説明するために推理小説をねたにした文章としてはネタバレてんこもりですんで、未読の方は本屋ダッシュして廣済堂文庫版でも速攻ゲットしていただくとして・・・

 『妖異金瓶梅』は山田風太郎探偵小説作品のなかでもスコブルつきに山風な大傑作でやんすが、世界推理小説史上またとない特色をもっているでやんす。連作短編形式でつづられる、『金瓶梅』えろえろワールドに起こる怪奇だったり不可能だったりする殺人事件の「犯人」はすべて、潘金蓮様なわけです。もちろんアルセーヌ・ルパンのように、犯罪者が主人公というシリーズも世の中いろいろあるですが、犯罪があり謎の提示があり、探偵が謎を解いてようやくあらわになる犯人、つまり作品の謎の求心点であるような「犯人」が同一人物であるケースというものは、他にはないものと少なくとも日本ではされていますです。一話目「赤い靴」を読み、二話目「美女と美童」冒頭の宴会に金蓮様が何事もなかったかのよーに出てくる場面で驚倒しない推理小説読みはおそらくいないでしょう・・・普通推理小説の犯人はばれたら捕まるとか逃げるとか自殺とかするもんだからねえ。同じく山風の傑作探偵小説『誰にでもできる殺人』は連作短編で最後に真の犯人が明らかになるという、新本格30年先取りの工夫がされていますが、それにしても『妖異金瓶梅』のインパクトにはかなわない。

 なぜこんな掟破りが可能になったかとゆーと、それはもちろん金蓮様が空前絶後の大美女だからでやんす。妖艶なる美女が犯人というのは、横溝正史の岡山・瀬戸内海系作品のよーに黄金のパターンでもありますが、金蓮様は、美貌の陰の悪女面を暴れて狂乱するもあえなく滅んでしまうよーな岩下志麻より格上ですんで、殺人を犯そうが淫らであろーが、それをひっくるめてお美しいわけで、探偵役の応伯爵以下私らふつーの人民はひれ伏す他はないわけです。

 ちょいどっかで書きましたがよしのが最初に読んだ山風はコレで、そんときゃー人生の経験値がたりなかったのかいまいちそこでひっかからなかったのですが、なんでそんとき納得いかなかったかといいますと、金蓮様が互換可能な特質(足が小さいとか・・)で威張ってやがる女を殺すのは理屈として理解できるとしても、金蓮様がどうして女性からみれば単なる大馬鹿野郎な西門慶に、自分の命を盾にタンカ切りたおすほどに惚れてるのかまったく納得いかなかったし、さらに西門慶が死んだ後、あっさり他の男の誘惑にとりかかるのもよくわからんかった・・・というあたりだったんじゃないかな〜と思いますです。探偵役の応伯爵とかのほうが金蓮様のお美しさ恐ろしさをもっと理解してるわけだし〜、応伯爵とくっついた方がいいじゃんよ・・・

 ところが最近友達の友達(らしい)小谷野敦さん(比較文学)の『もてない男──恋愛論を超えて』(ちくま新書 1999)などつらつら拝読するにつれ、なんとなく自分なりにそのへんの問いの答えのようなものがみえてきたよーな気がしてきましたんで、またしても駄文生産でございます。あーちなみに小谷野さんの諸作はジェンダー研究の穴ぼこ、「もてない男」を主に日本文学をねたに主題化するという非常に野心的かつその道の素人でもかなりおっけーな優れたインターフェースをもつ良書ですんでお勧めでやんす。


 ほんで『妖異金瓶梅』に戻りますが・・・

 大金持ちであり、美丈夫にして精力絶倫(とほほ)の西門慶の第五夫人である金蓮様は西門慶がもっとも美しいとした女や美童、もっとも心を傾けた相手を次々に殺し、あるいは放逐していきます。そんで西門慶の友達というか太鼓持ちのような応伯爵は金蓮様の犯罪をいちいち突き止めていくんですが、いかんせん金蓮様に惚れちゃってるんで、なんとなく接吻とかねだっているうちになあなあで終わってしまうという・・・

 ほんじゃー金蓮様ってものすごく嫉妬心が強くて、自分の男が心傾けた相手をいちいち殺して回ってるのか・・・というと、そうとは言い切れないなにか不可解な論理がこの連作短編では動いていますです。たとえば金蓮様デビューの「赤い靴」では、西門慶が褒めたから、ではなくて第七夫人・宋恵蓮が自分の足を金蓮様の足と比較して小ささを誇ったために、ただ「恵蓮さんの足はあたしの靴には入らない」とやりかえすためだけに死人二人出てしまいます(うひゃー)。単品なら嫉妬で片づけられる作品もありますが、むしろ「美しい」ということとはどういうことなのか?という問いをめぐって事件が起きるのだ、というのが橋本治解説だったような(すげーうろおぼえ・・たしか『秘本世界生玉子』にはいってます。河出文庫)。

 他の作品をみてみましょう。「美女と美童」では西門慶が美童の臀を女の臀より美しいとしたために、「閻魔天女」では西門慶が声が夫人の中で第七夫人・朱香蘭が一番色っぽいと評価したために、「西門家の謝肉祭」では西門慶が知県夫人林黛玉と食べ物の話でもりあがりまくったために、「変化牡丹」では画家蘇竜眠が第七夫人・楊艶芳を西門家の夫人の中で最も美しいとしたために、「麝香姫」では歌妓・李桂姐の体臭がもっとも強い麝香の香りがすると西門慶がしたために、「漆絵の美女」では病死した夫人李瓶児の漆絵に西門慶が捕らわれていたために、「妖瞳記」では第六夫人・劉麗華の瞳がもっとも美しいと西門慶がはずみで言ってしまったために、「邪淫の烙印」では、ゾオラ姫の肌の白さを西門慶がほめたたえたために、「黒い乳房」では葛翠屏の身体の手触りがもっともいいと西門慶がほめてしまったためにそれぞれ殺人や、褒めた特徴を失わせるような事件が起こります。現在単行本から外されている「銭鬼」は外されているだけの理由があり(金蓮様の他の犯罪での動機とかなり食い違ってる)、さらにアドレナリンでまくりのラスト4作についてはこれをネタバレしてはメール爆弾くらいかねないんで極力触れずにすませるとして・・・

 逆に言えば、金蓮様は足の小ささ(ご存知の通り、これは封建時代の中国では美女の絶対条件です)、お尻、声、顔、体臭、瞳、肌の白さ、肌の手触りにおいて少なくとも西門慶にとっては一番ではない、ということになってしまいますです。先に「空前絶後の美女」とか大仰な表現を使いましたがそんじゃ全然美人じゃないじゃん・・・

 金蓮様の美貌は、たとえば以下のように記述されてます。

 「新月のようにかすんだ眉であった。灼けつくように真っ赤にぬれた唇であった。容貌も無双だろうが、この女には、ちかづくと麝香のような匂いが鼻孔をうつ。(中略)その噂(注)がひょっとしたらほんとうではないかと思わせるような美しい深淵のような物凄さが彼女にあり、また、そんなことはとんでもないと破顔一笑させるような、いたずらっ子めいたほがらかさがこの女にある。」(「赤い靴」)
 注:金蓮様が前夫を毒殺したという噂

 「この女には、その繊細精巧な美術品のような完璧な美貌のなかに、あらゆる男という男を無限の深淵にひきずりこんでしまうような恐ろしい原始的な力がある。」(「美女と美童」)

 山風は概して女性の容貌描写はあんまりしないたちで、くノ一といえばなにげに「雌豹のような──」とかわりとあっちこっちで見るような(笑)。しかし金蓮様の美しさがこの連作短編のエンジンであるにもかかわらず、なんかようするに「すげー美人」としか言ってない・・・

 西門慶は金蓮様の夜の魅力(笑)などは褒め称え大恐悦してますが、西門慶にとっては非常に貴重だけど所詮何人もいる夫人の一人です(『笑い陰陽師』の「男に、女の好みなんかない。長いのもいいし、まるいのもいい。濃厚なのもいいし、薄味もまた悪くない──」というせりふを地で行ってる奴・・・)。また「この点においては金蓮が一番!」というように言挙げすることはありません。じゃあ金蓮様って要するにとりあえず美人なだけなのか?といいますと、そんなはずはありません。金蓮様は金蓮様自身と被害者の入れ替わりを主眼としたトリックを多用しますです。ものすごく美しいけれど、ここという突出点を持たない美女、にもかかわらず(ちゅーかだからこそ)誰にでもなりうる美女──金蓮様は特性のない美女なのでやんす。

 その特性のない美女の犯罪は・・特に後半に顕著になりますが要するに西門慶に「あんたに女の違いなんかわかる?全然わかってないじゃん」という突きつけをするために行われているのだ、と考えることもできるかもです。

 「ひょっとすると、金蓮さん、それは劉夫人をたすけようなんて殊勝な心からじゃあなく、西大人の小癪な指を、内々笑殺するあなたのいたずら心からだったかもしれませんな、・・・」(「黒い乳房」)

 金蓮様のトリックに載せられて時には自分を犯人だと思い込んでしまったりもするお馬鹿な西門慶は、あざ笑われていることすらわかっていませんが・・・


 ところで「特性のない美女」と言いますと、なんか個性なさそーという字面ですが、金蓮様に「個性」なるものがないんだったら個性なんてそもそも不可能だというくらいインパクトあるキャラクターでやんす。足が夫人Aよりでかかろーが、お美しいこと無限大です。山風キャラクターでつい様づけしてしまうってえと、十兵衛様くらいだしなあ・・てーか普通キャラに「様」つけたりしない年なんですけどあたくし。

 ほんじゃー金蓮様の個性・美しさというものはどこに立脚してるのかと申しますと・・・

 先にも述べましたように、金蓮様より足の小さい女、顔だけとれば美しい女というものはいますです。彼女たちはそうした自分の特質を誇っています。でもそれは西門家の中の話。よそを探せばもっと足の小さい、もっと美しい顔の女がいるにちがいない、所詮相対的な勝利にすぎないわけです。可算的な美しさといってもいいでしょう。それはまた、金蓮様が入れ替わることのできる、そして簡単に滅ぼしうるような美しさ、入れ替え可能な美しさなわけです。

 対して金蓮様の美しさがどんなものかと申しますと・・

 「地獄へいったら、閻魔さまにきいてやろう。あたしほどの美しい女が、三寸ちびの片輪男に売り飛ばされて、花も実もある殿御に言い寄られたとき心をうつしたのが何の罪、閻魔さまだってこまるだろうよ。それを姦婦だ淫婦だと、人を殺すことばかり知って女の心を知らない朴念仁ども、教えてやろう、女の心というものは、きらいな男なら毒を盛っても夢にもみないが、好いた殿御は、殺されたって殺させないよ!」(「凍る歓喜仏」)

 金蓮様に毒殺された前夫の弟にして水滸伝の大乱暴者たる武松についに捕まったとき、のタンカざんす。で、この後どうなりますかといいますと、武松の助太刀に来た梁山泊の大姐御・孫二娘がそれもまー一理だと納得してもうて一時撤退するという・・・

 金蓮様の美しさというものは、顔や肉体などにももちろんたんとあるのですが、それよりなにより金蓮様の他者を征服し、圧倒する力そのもの、金蓮様の行為が他者の軌道を変えてしまう力にあるわけです。運動そのものっていってもいいっすね。それって破壊不能で代替不能ざんす。しかーしそれは同時に可算不能な美しさでもあるわけです。だからこそ、西門慶は金蓮様の美・金蓮様の淫蕩に恐悦しながらもそれを一番だと表現することはないのです。だって、数えられないものを一番だと言うのってへんじゃん・・

 金蓮様の犯罪の多くは、可算可能な美しさを破壊することに向けられます。それは序列を越えてしまったために序列の中で見えなくなってしまう宿命をもった美しさの、序列というものそのものへの妬なのかもしれません。とはいえこれは金蓮様自身というよりは、金蓮様と「この世のものならぬ同性愛に結ばれていた」ことが後に明らかになるほう(ほんとはまだれ广に龍ですが、漢字が出せない)春梅の復讐の意志がはたらいているのかもしれません。なんたって「金蓮さまをはずかしめたひとを、あたしはゆるすことができないのです」というただそれだけのために町一つ滅亡させるしね・・・春梅は。

 なぜ金蓮様が毒を盛ってついでに布団で窒息させて殺した前夫を夢にもみないかというと、前夫が「三寸ちびの片輪男」だったからではなく、金蓮様の美しさに引きつけられまた金蓮様をひきつけて楕円として安定しうるほどの力が彼にはなかったからかもです。大好色漢で美男で精力絶倫(笑)の西門慶には、そうした力学を理解する頭はなかったけれど、力を持っていたからこそ金蓮様に選ばれたわけでやんす。むしろ、そういう力学の論理を知ることがなかったからこそ、金蓮様という運動と拮抗しうる点として生きることができたのかも・・「わかる」ってこたー生きてるものを操作上ピン止めしようとすることなわけで。たとえば歩いてるときいちいち筋肉の動きやら段取りを考えてちゃ〜そのうちこけるし、考えながら走ることはできないしね。

 西門慶がその力を失ったとき、金蓮様はやれば西門慶が死ぬとわかっていながらあえて本来の力を一瞬でも取り戻させるために詭計をめぐらせます。そして一瞬復活した西門慶が案の定死んだ後、金蓮様はしばらく虚脱しているのですが、彼に匹敵するもう一つの力・武松を誘惑し屈服させるという目標をもった途端大復活・・・

 「・・・あたしはこうして、男にこがれつつ死んでゆくのが、あたしらしいかもしれない・・・」(「蓮華往生」)

 金蓮様が亡くなる直前のせりふでやんす。まったくもってその通りでやんす。


 そうした金蓮様のお美しさの力学を理解しているのが、世界推理小説史上もっともふにゃらかな探偵役・応伯爵です。

 金蓮様が亡くなった後、金蓮様の元小間使い・春梅はたのしそーに飲んだくれている応伯爵に言います。

 「あなたは、金蓮さまが好きでしたね。あたしは、金蓮さまをほんとうに愛していたのは西門慶の旦那さまより、むしろあなたではなかったかとさえ思っていました」
 「それは、たしかにそうでしたよ」(「死せる潘金蓮」)

 たしかにそうです。金蓮様の犯罪をつきとめ、動機を理解し、そしてふらふらと誘惑されちゃう応伯爵ほど金蓮様の美しさを「知って」いる者はいないのですから。

 しかし、応伯爵は金蓮様に終始一貫あいまいな態度しかとれません。たしかに西門慶のたいこもちで食ってる応伯爵はうっかり金蓮様に手をだして、うっかりばれてしまってはえらいことになってしまいます。もちろん応伯爵は金蓮様の価値を一番評価しているわけですから、「が、この潘金蓮に対してばかりは、西門慶への義理も損得勘定も底ぶかいところでどよめくような気がしないこともない。」といった感情は常にもっていますです。

 でも応伯爵はただ指くわえてみてるだけではありません。金蓮様の犯罪をつきとめ、口止めにえろえろされたりもしてます。なのに積極的に口説くということはしない・・一つには金蓮様が西門慶を愛しているからでもありますが、むしろ問題は応伯爵の方にあるかもです。

 だからいちおー最大の障害であった西門慶の死後でも、「応伯爵はもの想いにくれる。彼は金蓮に惚れていた。だから本音をはくと、西門慶が死んで、ちょいと大それた望みをいだいたこともある。しかし、金蓮と西門慶の愛欲のすさまじさを腹の底まで見せつけられて、彼は恐怖すらおぼえていた。金のないことはさておいて、とうていおれにはもちきれんだろうと思う。──」(「蓮華往生」)・・ということになってますです。

 ひいちゃってるわけですね・・・要するに・・・。底ぶかいところでどよめいてるだけっつーか。まあ、「さあ、あなた、あたしの旦那さまを想うこころがどんなものか、それがわかったら、この鍬で、はやく墓穴を掘ってください」(「女人大魔王」)てー「荘厳に」命令されて月夜の晩に墓穴ほらされてちゃーまーひくのもしょうがないという気もしないでもないですが。

 西門慶の死後、周守備(軍官)のところへ金蓮様がお嫁にいくことになって、もうそう簡単には会えない、となっても、武松をあえて誘い込んで金蓮様がタイマンはるときでも嫉妬と惑乱で内面はぐるぐるへろへろになっても外面的にはおろおろしてるだけ・・


 ほんじゃー伯爵の愛ってなんだったの?といいますと、むしろ金蓮様が死んだ後に爆発しますです。このへんもう推理小説ではなくなってますが、かくもアドレナリン出る話は山風でもそうはないっつーくらいの盛り上がりで未読の方に悪すぎるんで詳細はぶきますが、『妖異金瓶梅』は金蓮様の死体を追って荒野を彷徨する応伯爵の姿で終わるです・・

 しかし死の直前の金蓮様曰く、「あたしが死んだあと、男がもだえて何になろう? あたしは生きてこそ男をもだえさせたいの。──」(「蓮華往生」)

 応伯爵がようやく所有し、心置きなく拝跪する金蓮様の死体は確かにお美しいこと限りないのですが、にもかかわらずそれはもはや応伯爵を魅了したなにかの残余でしかないわけです。第一話「赤い靴」には足フェチ(この時代の中国人にはあまりにも多そうだ・・)の下男が出てきますが、ちょい呼応してるかんじもありますですね・・・

 要するに、応伯爵は生きている金蓮様を所有することはあらかじめあきらめてしまっていて、それは応伯爵個人の資質というよりは、金蓮様という超絶なエネルギーの渦がどれほどの力場なのか知ってしまったゆえの不幸ですが、ようやく所有しえた金蓮様の死体は金蓮様自身によってあらかじめ否定されたスカだという・・。春梅は金蓮様を愛する同志として応伯爵を一定認めておりますが、金蓮様にとって応伯爵って、へんにべたな惚れ方してやがる、意のままになる単なるおまけなのかも・・・というか、そういう愛し方って金蓮様にはまったく通用しそうにないよね・・・伯爵、無残。

 応伯爵→金蓮様の場合知ることが愛なのに、知ったがゆえに隔てられてしまうというとほほな展開。どんな矛でも防ぐ盾とどんな盾でも貫く矛がぶつかりあってしまっておりますです。愛の強度はたしかに応伯爵が高いのですが、頭悪すぎ金蓮様の値打ちが全然わかってない西門慶の方が百万倍幸福かもです・・


 ひょっとして、色って・・「理解する」ってーこととは両立しないのか?小理屈こねこね女のよしのとしては思いあたるフシもなくもなく・・じゃあ「理解する」ってなによという問いも浮上してきますが、大問題なのでひとまずこのへんで。

 

 

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