■「電話」の歴史

=技術的な歴史=
1835年:電信の実用化(米:サミュエル・モールス)
1876年:電話の発明(米:グラハム・ベル/音声生理学者)
     「音声その他の音を電信技術によって送信するための方法、および機器」
1877年:手動交換機の開発
交換手を呼びだして、相手の番号を告げて呼び出してもらい、両端がプラグになっているコードを差し込むことでつないでもらう。
当初は少年などが交換手を勤めていたが、接客が粗暴であるとして、しだいに若い女性の職業となる。
当時は数少ない女性向けの「体裁のいい職業」として人気があったが、仕事自体は集中力と熟練度を要するキツいもので、低賃金だった。
また、接続ミスや、なかなか交換手が反応しないなどの問題もあった。


明治時代の交換機。
http://japan.park.org/Japan/NTT/MUSEUM/html_ht/HT898010_j.html


1891年:自動交換機の開発(米:アーモン・ストロージャー)
ダイヤル発信によって、相手先を指定し、直接通話開始するもの。ストロージャーは、カンザス州で葬儀店を営んでいたが、他の葬儀店の妻が交換手をしていたことから、電話での注文を横取りしているのではないかと疑い、自動交換機の原型を自作し、起業して開発していく。
    


=初期の電話の使われ方=
◎ベルの公開実験
離れたところから聞こえてくるニュースや音楽を公会堂に集まった観衆の前でデモンストレーション
◎「プレジャー・テレフォン」
・劇場やコンサートホールの様子を生中継。
例:ブタペスト「テレフォン・ヒルモンド」ベルの下で電話を研究していたプシュカーシュによって運営。
 (1893年〜第一次世界大戦)
 9時〜22時まで株式情報などのニュースや、講演会・コンサートなどを、定時でプログラムを組んで放送。(12時からはニュース、6時からコンサート、など。)
 1881年に同市に設置された電話網を利用して、加入費/工事料金無料/1日1ペニーの低料金で運営。
 1900年には電話に加入していた6437世帯が100%加入。
 ホテルやカフェなど公共の場にも置かれ、電話に加入していない人も利用することができた。
 現在のラジオ/テレビなど放送編成の原型と言われている。
例:ソビエト連邦での有線電話による情報サービス
  ラジオでは情報が拡散するとして電話によるニュースなどの提供が行われた。
 →有線放送としての電話。
=ラジオとの競合と棲み分け=
 1906年 アメリカでラジオの送信実験はじまる。
技術化された当初は、双方向発信・受信が可能な無線電話として構想され、利用されていた。
 しかし、電波利用を政府で規制する動きが現れ、個人での電波の発信は制限(「アマチュア無線」として限られた周波数帯での利用/出力の制限/放送事業が免許制になる)されることになる。
 
→・海賊ラジオ/自由ラジオ(イタリア[1970年代〜]・フランス[1981年ミッテラン政権〜]・オランダ[1923年ラジオ開始以来]などヨーロッパ)
 ・ミニFM放送(日本 範囲数百メートル程度)
 マスメディアに対して、自分たちの手でメッセージを発信していこうというもの。
 趣味の音楽やおしゃべりといったものから、反原発運動など政治的なものまで様々な情報を発信。イタリアなどでは刑務所にいる受刑者による番組もあるらしい。

#ラジオと電話は、技術的な可能性としては重複していたが、棲み分けにより、電話は双方向で一対一、ラジオは一対多の一方向で開発と利用方法が定まっていく。