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■本日のポイント

=メディア論から見た「電話」=

1970年代から、電話というメディアのコミュニケーションの特質を指摘した研究が現れる。
1990年代に入って、メディア社会史や、フィールドワークに基づいた電話研究が行われるようになった。

『電話するアメリカ』(クロード・S・フィッシャー 1992年)
 メディア社会史の観点から、アメリカでの電話の普及/利用方法の変化を描いたもの

『メディアとしての電話』(吉見俊哉+若林幹夫+水越伸 1992年)
 都市社会学者などによる、「電話」を多角的に捉えた本

『声のオデッセイ』(富田英典 1994年)
 社会学者によるダイヤルQ2など匿名的な声のコミュニケーションを中心に取り上げたもの。


=「電話研究」の3つのポイント=
1)メディアと社会の相互干渉の過程
  電話は技術的な可能性としては、一対一の通話だけでなく、ラジオに近い放送メディアとしての方向ももっていた。
  
←マクルーハン、オングらのメディア論(前回)が、メディアが一方的に人のありかたを決定する、というメディア決定論ではないかという弱点をもっていたのに対して、技術が社会との相互作用で使い方を決められていく様子を検証することができる

2)電話の利用形態の変遷
 用件から、おしゃべり電話へ
 会社や家族などの集団から、個人対個人の通話へ
 ←共同体と個人のあり方の変化、メディアとのかかわりの変化を読み取ることが出来る

3)匿名性の空間(1980年代後半〜)
 伝言ダイヤル ダイヤルQ2など
 メディアを介して行われる匿名の出会いの空間の肥大
 ←インターネットなどでの匿名コミュニケーションの原型
 ←「声」に限定された出会いの中で、どのように現実を調整していくか、という問題



=電話をめぐる風景=

当たり前のインフラとして使われている電話だが、最初から現在のようなかたちになったわけではない。

1)『ガラスの村』(エラリー・クイーン/1954年)
 ニューイングランドの寒村を舞台にした推理小説。
 有名な画家が殺されたとき、第一報を告げる電話を、たまたま受話器を取り上げて聞き付けた他の村人たちが集まって来て、大騒ぎになる。
 →現在では自動交換機を経由して一対一で使われることが前提の電話だが、アメリカなどでは農村地区を中心に、地域で敷設した共同回線を使ったところも多かった。
  ネットワーク内の他の人々の会話も聞くことが出来るために、一対一の電話よりも、限定された小規模な共同体の維持に大きな力となった。うわさ話だけでなく、音楽の演奏など、娯楽として使われる一方、盗聴などの問題も常にあった。


2)ドラマ「抱きしめたい」(フジテレビ/1988年 浅野温子・浅野ゆう子・本木雅弘他)


 バブル期に流行った「トレンディードラマ」の元祖。「トレンディードラマ」はそれまでの家族で見るドラマに対して、若い世代に対象を絞ったもの。独身・一人暮らしの若い男女の恋愛に注目したもので、多くの作品で「電話しあう場面」が目立つ。
 
 スタイリストがロケ地から電話するのに、ショルダーフォンと呼ばれる、携帯電話のハシリが出て来る。(大きさはLL用のスピーカーマイク/ショルダーバック程度)
 しかし、まだ一般家庭向けのコードレス子機というものは出回っていなかったため(日本でのコードレスホンの解禁は1987年の電波法改正から)、出演者が自分の部屋で、やたら長いコードを引っ張って「歩きながら、電話している」のが妙に印象的。

・一人暮らしの男女の間で、「電話」が重要なコミュニケーション手段となっている
・歩きまわりながら電話する、という感覚。
 「電話をしている場面」は、それぞれが一人でいる場面を交互に出す形になるために、動きがつけにくいという演出上の問題もあるが、それよりも場所にとらわれず、別のこともしながら電話する、というスタイルの表出ともとれる。
→いまの携帯電話でのコミュニケーションの感覚に近付いている


3)『流れよ我が涙、と警官は言った』(フィリップ・K・ディック/1974年)
 有名なタレントである主人公が、眼が醒めると自分がまったく知られてなく、データベースにも残っていない世界にいた、という平行世界物のSF。
 複数のユーザーが同時に会話を交わし、共感しあうことができる、麻薬のような中毒性をもつ通信ネットワークが鍵となる。

 アメリカのダイヤルQ2「900番」サービス(1980年スタート)を予見?
→匿名的な出会いを提供するネットワークへの依存、という主題。