「リアル」と「ヴァーチャル」が曖昧になっていく、という事態に対する対応として「未来日記」をみてみると。
・あえて曖昧にしたところに、「本気」を読んでいく。盗み見るというスタンス。 ・曖昧でどちらかわからないことそのものを、楽しんでいく。
などの姿勢が交じり合っている。
単純に「リアル」であることを良しとし、「つくり」(=ヴァーチャル)を否定するのではなく、「リアル」「ヴァーチャル」という枠組を踏まえつつ、その枠組そのものを遊んでいくという態度。
→日常的にネットワークを使っている人々の感性に近い感覚があるのではないか。 →「情報化」という社会の変化のひとつの痕跡として、これらテレビ番組を読むことが出来る。