■「ドラマ」との違い

・フレームの混在

 普通の「ドラマ」と比較すると、「未来日記」は、「素人が出る」という以上に、物語を見る視線が異なっていることに気づかされる。

 「ドラマ」は基本的には自律した意味の空間である。CMなどが挿入されても、その境目ははっきり区切られて、どこからが「ドラマ」でどこまでそうなのかは明示されている。

 一方、「未来日記」の場合は、ビデオに見入るタレントの表情、スタジオの声、テロップなど、「それを見ている視線」が入り込み、常に注釈が付けられている。

・物語のモジュール化
 恋愛という物語は、場面場面に解体されている。
 その場面の間を補完するのが、出演者の「素/本気」のプライベート。

←「生」「本物」を見たいという欲求
←「気軽に物語を楽しみたい」という都合。
←「フィクション」を楽しむというリテラシーの低下?