■テレビというメディアの特質

・速報性+ライブ性に優れていること

←「生のもの」が求められる

山田太一:「テレビの磁力に脅威を感じる。フィクションは事実より弱い。フィクションが試される時代になった」(あさま山荘事件[1972:山荘に立てこもった過激派と機動隊の様子が生中継された]の回顧番組で)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no45.htm

・「リアル」「真実」という観点から見た際の、番組内容の不確かさ

=続発するやらせ事件(ごくごく一部)=
1985年 テレビ朝日の「アフタヌーンショー」
     女子中学生のリンチの場面がやらせ。番組終了。
1990年 TBSバラエティー番組「ギミア・ぶれいく」
     暴力団の債権取り立てのシーンが打ちあわせによるもの
1992年 NHKスペシャル「禁断の王国ムスタン」やらせ事件
     ・「高山病に苦しむスタッフ」の映像は演技
     ・「岩石の崩落、流砂現象」のシ−ンは、スタッフが故意に引き起こしたもの
     →「俗悪な番組」ではない、とされていた枠での「やらせ」で大きな影響を及ぼす。
1994年 松本サリン事件報道
     警察発表をうのみにした過剰報道。
2000年 テレビ大阪報道特別番組「少年少女が危ない2」
     ディレクターが暴走行為を教唆したとして警察の取り調べを受ける。
     http://kansainokai.infoseek.livedoor.com/82.html
     (事実は違う、としたディレクター側の反論)

←根強い不信感。

「やらせは悪いという論調の中には、映像ジャーナリズムが分かっていない非難が少なくない。本来、映像には演出が付きものなのだ」(田原総一朗『闘うテレビ論』)

#たとえば、一般家庭にカメラが入る場合、巨大なカメラや多数のスタッフ、ライトなど一気に非日常化してしまう。そうした中で撮影を行うためには、スタッフと対象者のコミュニケーションが必要。だがそれは同時に「誘導」につながる側面もある。
#また、「編集」の段階で取捨選択が行われることで、「なにが起こったか」当事者の意図と離れた結果になる場合もある。