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■本日のお題。

「メディアはどのように語られているのか」

 さまざまな分野からのアプローチを紹介。


「複製技術時代の芸術」:ベンヤミン

マスメディア論/大衆文化論:リースマン

メディア論:オング/マクルーハン/キットラー/ボルツ/ドゥブレ

(文学理論):ヤウス(受容理論)・シャルチエ(読者の社会史)

(カルチュラル・スタディーズ/文化研究):フィスク(テレビ研究)


「メディア」をどうとらえるか、という問いが、明確に立てられるようになったのは、メディアの歴史そのものから考えると、ごく最近のこと。


#プラトンの著作に断片的な記述はあり。

→『プラトン序説』(エリック・ハヴロック)


それは、わたしたちの社会の中で、メディアが対象化されるべきものとして認識されていることを示す。


例:社会学の歴史。

19世紀後半〜末あたりから成立。(経済学など、他の社会科学や心理学なども同時期)

ウェーバー(独)/デュルケム(仏)/シカゴ学派(米)

#「都市」という、地縁や血縁、あるいは特定の利益集団に縛られない匿名性の高い空間の出現によって、抽象的な「社会」というものが、意識されるようになったため、と見ることができる。



メディアを扱う学問の変遷や、メディアに関する小説、ドラマ、映画、またさまざまなコンテンツと組みあわせていくことで、メディアがどのように受け取られているかを探ることが出来る。


ディストピア風未来像。ヴァーチャル・リアリティと機械、人間の関係を。

・『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』:フィリップ・K・ディック(1964年)

・『接続された女』:ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(1974年)

・『ニューロマンサー』:ウイリアム・ギブソン(1984年)

・『マトリックス』(1999年)

http://japan.whatisthematrix.com/

・『アヴァロン』(2001年)

http://www.oshiimamoru.com/works/works_jissya01.htm


ユートピア風未来像。音声インターフェース中心のユビキタス・ネットワークつき。

・「スタートレック The Next Generation」(1980年代後半)




←「言説分析」:ミシェル・フーコー[仏:1926〜1984]

 『狂気の歴史』(1961年)『言葉と物』(1966年)『知の考古学』(1979年)




 「歴史学」は基本的に、一次資料(その時代の行政記録や個人の記録など)を中心とした歴史資料を分析対象とする。

 それに対して、フーコーは、科学、芸術、個人的な記録や行政記録さまざまな領域の言説(言葉のまとまり)を横断的に捉え、言説のネットワークから歴史を捉えることを提唱した。




■映像メディアのインパクト


 「メディア」というものが人間に与える影響が広く問題とされはじめたのは、映画、そしてテレビといった映像メディアの普及による。

 特に、テレビについては、「内省」を要求する印刷メディアと異なり、「受け手」として、ただぼんやりと見ていればいいとみた人も少なくなく、それは、ひとびとをマスメディアや消費システムに踊らされる「文化中毒者」とみなしがちな大衆社会論などとも結びついていく。

 そして、テレビというもののインパクトにより、テレビ以前前の文化、つまり「活字文化」の分析と相対化が進む。

 

 

■ワルター・ベンヤミン(美学:1892〜1940)


 ユダヤ系ドイツ人。ナチス・ドイツから亡命する途中、自殺。




 「複製技術時代の芸術」(1936年)

 

 主に「写真」「映画」などを中心に、芸術作品がもつ「唯一性の輝き(アウラ)」が失われるとした。

 

 例:ルーブルで「モナ・リザ」のオリジナルを見ても、それは既にあふれている「モナ・リザ」のイメージの1つのバージョンにすぎない。

 

 

      

 →メディア論

 →消費社会論

 →カルチュラル・スタディーズ

 など、広範囲に渡る影響を与えた。

 

 

■マス・コミュニケーション論(社会学/社会心理学)



アメリカ

・1940・50年代(「皮下注射モデル」)

 ラザースフェルドなど、コロンビア大学の研究者を中心に、1940年大統領選挙や、ナチス・ドイツの宣伝などが分析される。

 選挙などのキャンペーンは、直接的にはひとびとの行動を左右しないことが明らかになる。


・1960・70年代〜

 「議題設定機能」など、マスメディアの間接的な効果の研究が進む。

 マス・メディアは、「今なにが問題なのか」という争点=議題を設定することについては強力な影響力を持っている。

 「沈黙のらせん」

 人は、自分の意見が多数派か少数派かを、意見を述べる前に確認し、少数派であれば沈黙し、多数派とみれば積極的に表明する。多数派/少数派を判断する基準は、世論などの場合はマスメディアにあり、同一の論調で大量の報道がされている場合、少数派は沈黙してしまうので、ますます少数派に見えてしまう。


 →マスメディアは個人の意見を直接左右するわけではないが、その環境を枠づける。 



■大衆社会論

・デビッド・リースマン(米・社会学者 『孤独な群衆』など)

 口話コミュニケーションの文化/活字文化/ラジオ・映画・テレビなど視聴覚メディアに依存する文化

 ピューリタニズムと活字文化+黙読の習慣との結びつき。→内的志向型の人間に

 映画・テレビの登場→他人志向型の人間に

 →内容的にはマクルーハンらメディア論に近い発想。


■疑似環境論

ブーアスティン『幻影の時代』(1962年)

→マスコミが作り出した「疑似現実」によって、生身の「本当の現実」が覆い隠されているという論。


 

 

■ウォルター・オング(英文学:1912〜)


 『声の文化と文字の文化』(1982年)



 声の文化(オラリティー)と、文字の文化(リテラシー)の心性の違いを分析。


 ・声の文化

  一回性。緊張感をもつ。流動的。

 ・文字の文化

  反復可能性。「閉じられたもの」としてのテクスト。

 

 例:物語

 声の文化では類型的な人物を使ったエピソードの集積。(ex. 神話やギリシャ叙事詩)

 文字の文化では、きっちりと伏線を張りながらクライマックスへ向かって進むピラミッド型の構造。心理的な陰影をもつ、「立体的」人物。



■グーテンベルグの銀河系

マーシャル・マクルーハン(英文学:1911-1981年)



主著

『グーテンベルグの銀河系』(1962年)

『メディア論』(1965年)


メディア=身体の拡張としてとらえ、交通システムなども含めて、さまざまな技術を「メディア」と位置づけて人類の文化全体を包含した論を展開する。


専門分化を促してひとびとの部族的なつながりを解体し、視覚優先の人間を作り出す活字文化に対して、熱狂を促すテレビなど映像メディアによって、「グローバル・ビレッジ」が形成されるとした。


・メディアはメッセージである

 どのような「内容」がメディアで伝達されるかではなく、メディアそのものの人を結びつける形式が問題だ、という考え。

 例:鉄道

 「なにが運ばれるか」ではなく、鉄道が国の中を貫通しネットワーク化していくことが「鉄道」というメディアのメッセージ。

 →「メディアの形式」というものを対象として考えようとする発想。


・ホットなメディア/クールなメディア

 メディアには、精細度(情報量の密度)がある。

 低い精細度のメディア(クールなメディア)は、少ない情報量を補うために、受け手の参与性が高い。

 高い精細度のメディア(ホットなメディア)は、受け手の参与を許さない。

 →メディアの形式によって、ひとびとの参与が異なるという指摘



■ポスト・メディア論


 ・フリードリヒ・キットラー(ドイツ・文学&メディア論 1943-)

  『グラモフォン・フィルム・タイプライター 1800/1900』(1985年)



  ←ジャック・ラカンの精神分析などを背景に、18世紀末と、19世紀末のメディア技術の変化を分析。タイプライターによって書く(というより打つ)ということで、書くことと人間の関係が変わっていると

  『ドラキュラの遺言』(1993年)

  ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』(1897年)を、19世紀末の情報テクノロジーと、ヨーロッパの周縁に残る土俗的な物語の戦いとして分析した論文を収録。

  


 ・レジス・ドゥブレ(政治思想? 1940-)

 「メディオロジー」

 「メディオロジーは、人間の考えがいかにして、何に媒介されて伝達されるのか、を記述しようとする。一人の人間の脳裏に宿った考えは、なんらかの手段/媒介によって物質的に表現されなければ他者へ伝わることはない。例えばわたしたちは「思想」について語るとき、それがあたかも思想そのものとしてあるかのようにその内容について議論をしないだろうか。しかし思想はつねに何らかの媒介を経て伝わる。文字、書物、音声、ラジオ、映像、TV……。メディオロジーは人間の思想を、内容だけではなくその媒体とともに考察する必要があると主張する。」*

http://www.logico-philosophicus.net/profile/DebrayRegis.htm


* http://www.logico-philosophicus.net/gpmap/books/DebrayRegis001.htm



■コンピュータ/電子ネットワークのインパクト


 基本的に、文字や映像のメディアは、著者や発行責任者をもつ。それらは著作権で守られ、変更してはならないものとして流通している。書く/編集する側と、読む側は固定的なもの*にならざるをえない。

 それに対して、電子ネットワークにおける情報は、書き換え可能なものであり、さらに情報を扱える量・複製のスピード・流通量・集約する際の利便性も爆発的に増大しうるものである。

 このような電子ネットワークの性質から、さまざまな可能性をひとびとは見ている。より無駄のない、分散し、かつ協調したネットワーク作り、主体的で能動的な「市民」など。

 それらは、「情報化社会論」といわれる一群の言説を産みだしている。


* とはいえ、1980年代、コピー機や簡易オフセットなどの普及で、個人でもコンテンツを発行することが楽になってはいた。





情報化社会論の「歴史」

 基本的には、「情報化によって社会が大変革する」という議論。

 最近、インターネットなどの技術によって登場したように思われるが、相当前からビジョンはあった。

 #「情報(化)社会」という概念は日本発。

■第一次ブーム(1960年代:高度成長期。次の社会像を探ろうというもの)

 ・梅棹忠夫の『情報産業論』(1963年)

  文明論的観点から、農業→工業→精神産業という発展図式を立てる。

  #梅棹忠夫:民族学・比較文明学 国立民族学博物館初代館長


 ・「脱工業化社会論」

  D.ベル、『脱工業社会の到来 : 社会予測の一つの試み』(1973年)

  前工業社会 :農業を中心とする社会 (アジア・アフリカ・ラテンアメリカ)

  工業社会 :大規模機械化工業を中心とする社会 (西欧・ソ連・日本)

  脱工業社会 :知識・サービス産業中心 (アメリカ)


 ・A・トフラー 『第三の波』(1980年)

  第1の波:一万年前の農業の発明

  第2の波:産業革命

  第3の波 :1955〜65 年にアメリカに初めておとずれた情報革命

       生産者としての役割を合わせ持つ消費者が出現


 これらの論(「未来学」と総称されてもいた)の特徴

 「進化論的な発展段階をモデルとして、産業社会*の次の段階として、『情報化社会』を最上位に置く。」

=情報化社会のイメージ=


 * 産業社会の特徴

  ・機械技術のいちじるしい発展→消費社会へ

  ・資本の集中化と官僚制的な機構

  ・階級構造の変化 「新中間層」の増大と社会の平準化

  →物質的な「豊かさ」のイメージと、機構や「消費システム」に組み込まれた人間像。


  それに対して「情報化社会」は、

  ・自立的な市民像

  ・垂直的な組織ではなく、水平的なネットワーク

  ・(階級構造は特に変化なし?)

  →物質的な「豊かさ」に裏付けられた精神的な「豊かさ」のイメージと、自立的な人間像。

  

■第二次ブーム(1980年代:「ニューメディア」)

 □ビデオテックス網(日本ではキャプテンシステムと呼ばれていた)など双方向性をもつ文字・静止画通信技術を中心に、政府主導で提唱される。

  地域網での住民向けサービスや、ゲーム、チャット、掲示板などのサービスもあった

  専用端末を使用し、電話回線を利用したネットワーク。ディスプレイはテレビを利用。


  ゲーム機をネットワーク端末として利用するサービス

  ・ファミコン+外付けモデム(「ディスクファックス」1988年)

  株取引、ネットバンキングなどの端末として利用を予定。


  しかし、日本ではニーズが掘り起こせず、うやむやに。


  →フランス:ミニテル(フランス)

   オンライン電話帳として端末(ミニテル)を電話回線契約者に配付する。

   1981年サービス開始。

   1984年から決済サービス「キオスク」。

   生活情報や通販、チャットや掲示板サービスも。

   現在でも、インターネットとは別に生活に根差している。

   ・端末が一気に普及し、またそのコストをユーザーが負担しない

   ・セキュアな決済手段と課金システムのために、商用利用が発達





   →日本の「Lモード」?


■第三次ブーム(1990年代前半「マルチメディア」/1990年代後半「IT革命」)

 □「マルチメディア」

 パソコンの高機能化を受けて。文字・静止画・動画・音などを総合的に扱い、インタラクティブ性を付与したもの。教育などの分野で期待される。



 □「IT(Information Technology)革命」

 情報技術によって、国家、社会、企業など組織のあり方を変革しようというもの。

 ・国家:電子政府と情報公開

 ・社会:NGO・NPOなどのネットワーク

    :インターネットによるマスコミ情報の相対化

 ・ネットワーク市民論

    『ネティズン』(1995年) マイケル・ハウベン&ロンダ・ハウベン

    『バーチャル・コミュニティ』(1994年) ハワード・ラインゴールド

    いずれも、電子掲示板システムのひとびとのつながりを描き、新しい「市民像」を見ていこうとしたもの。


 ・企業:SCM(Supply Chain Manegement)など生産・流通の効率化

    :CRM(Custemer Relationship Manegement)顧客情報の集約化



「情報社会」は、ほんとうにポスト(post)産業社会なのか。

 →いまのところ「より便利になった」産業社会・・・なのではないか。

 →電子ネットワークは、たしかに網の目状の、自由度の高いつながりを形成するには向いているが、それには形成しうる個人の力が必要。

 ←技術だけではひとも社会も変わらない。


 ・・・というわけで、実証的研究が待たれている状況。


=日本の研究者=

・遠藤薫(学習院大学)

 『電子社会論』(2000年)

・吉井博明(東京経済大学)

 『情報のエコロジー : 情報社会のダイナミズム 』(2000年)

・加藤晴明(中京大学)

 『メディア文化の社会学』(2001年)

・吉田純(京都大学)

 『インターネット空間の社会学』(2000年)

・佐藤俊樹

 『ノイマンの夢・近代の欲望』(1996年)




■メディアはどのように考えられてきたのか。



・口話文化:(既に先進国では喪失)


・印刷文化:近代的主体のゆりかご?

 視覚に縛られ硬直した人間のイメージ 対 自律した個人というイメージ


・映像文化:聴覚の復権と、高密度の情報。

 「文化中毒者」を産みだす媒体というイメージ 対 新しい紐帯を産みだす媒体というイメージ


・ネットワーク文化:情報の集積と交換の拡大

 管理の強化というイメージ 対 情報に対して能動的な個人のネットワークというイメージ





=今日の結論=

メディアに対する見方はさまざまなものがあること。

その中で、どうメディアとつきあっているのか、またメディアを介して、どのようにひととひとがつながっているのか、単純に「いい/悪い」で判断するのではなく、自分自身を相対化してみていくことが必要。

そのツールとして、メディアに関するコンテンツや他の人の声も、相対化してみていきたい。




今日のメールに書いてください:

「『情報化社会』ってどんなイメージ?」

yoshioh@vanilla.freemail.ne.jp

CC:mami_k@keisen.ac.jp