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吉野ヒロ子,1998,「現実の十分な複雑さ──チャット(IRC)という意味領域──」,「ソシオロジカル・ペーパーズ」(早稲田大学大学院院生研究会)第7号,p61-72

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現実の十分な複雑さ

──チャット(IRC)という意味領域──

更新情報  COLOR="#000000">Sufficient complexity of the reality in Internet Relay Chat (IRC)

0. はじめに
1.そこでなにが可能なのか
1.1 基本的な操作
1.2 チャンネル
1.3 情報の収集
2.  彼女/彼らは誰なのか、そして私は誰なのか
3. チャットという時間・チャンネルという空間
3.1 チャットという時間
3.2 チャンネルという空間
4. 新しい「現実」へ

0. はじめに

 「インターネット元年」と呼ばれた1994年(日本では95年)以降、コンピュータを介したコミュニケーションの世界は、急速に広がりつつある。例えば国内では、93年にはパソコン通信サービスの契約者は延べ200万人弱と推定されているが、97年6月の調査では、パソコン通信サービスおよびインターネット接続サービス(プロバイダー)の契約者の合計は延べ789.4万人強と推定されている。<注1> このような爆発的な増加の背景として、パソコン本体の値下がりと機能向上、職場や学校でパソコンが普及したことで一定以上のコンピュータ・リテラシーをもつ人が増え、自宅用にパソコンを持つことが珍しくなくなってきたこと、また通信そのものの機能向上とコストの低下などが考えられるが、コンピュータ・ネットワーキングは従来に比べればそれほど特殊な世界ではなくなっているといえるだろう。パソコンやインターネットを特に主題としない一般週刊誌など従来のマスメディアでもホームページが紹介された記事はもはや珍しくない。その意味でCMC(Computer Mediated Communication)の世界は次第に拡大しつつあり、また既にこの世界に参入した者にとっては新しい「現実」として定着しつつあるといえるだろう。
 しかし、CMCという「現実」のイメージはそれに参入していない者にとっては、ある種不気味なものとして現れる場合もある。[内藤,1997] 企業などすでに存在する組織にCMCが組み込まれる場合は、コミュニケーションの新しいツールとして理解されやすいが、CMC上の自己消費的なコミュニケーション、ネット上の名前を使い、あいまいな、あるいは意図的にコントロールされたアイデンティティを元にした見知らぬ人とのコミュニケーションは、対面的な物理的に身体と身体が向き合うコミュニケーションの世界を経験の基本とする目からは、「現実らしくない」は世界として映る。そのような視点はCMCへの没入に、自己疎外を、対面的な他者を回避したCMC上のよりあいまいでよりとらえどころのないコミュニケーションへの逃避を見いだす。
<注2> しかし、対面的なコミュニケーションが複雑な枠組みの管理、固有の経験の形式において成り立っているように、そこには対面的な「現実」とは異なる作法で構築された経験があるのではないだろうか。CMCが今後拡大していくとするならば、それは単にCMCが効率よい情報伝達を可能にするというだけでなく、この異なる作法で構築される現実に魅力があるためかもしれない。
 CMCという世界は、すでに数多くの先行研究によって取り上げられている。とはいえ、それらはCMCの経済的社会的法的問題や、CMCと従来の組織との結びつきを主題とするものが多く、CMCそのものを目的とした自己消費的な利用を対象にする場合でもそこで交わされるコミュニケーションの内容や利用者の意識が主な分析の対象となっている。端的に利用者にとってCMCという「現実」――対面的なコミュニケーションの場や、夢のような独自の経験の様式をもつ意味の領域、多元的現実 [Schutz,1962-1985] の一つとしてのCMC――がどのようなものでありえるのかを、コンピュータを利用するという経験の形式を、ソフトウェアのインターフェースそのものも含めて具体的に記述し分析することは、まだ今後の課題と言えるだろう。CMCにおいて現れる他者はもちろん、たとえば対面的な場で現れる他者と異なる。CMC研究の初期から指摘されているように、そこで現れる他者は匿名性によって覆われた他者であり、また技術的な問題から文字や単純な画像などにコミュニケーションの媒体が限られているために、その他者の痕跡は局限された形で与えられる。同時に自己呈示もこの限定によって、対面的な場面におけるそれとは全く異なる戦略を要請される。このような性格は、CMCの制約とも魅力ともなっているが、CMCという「現実」の構成のされ方を規定する根本的な要因と言えるだろう。
 とはいえ、一口にCMCといっても、そこにはWWW、ニュース・グループ、BBS、電子メール、チャットなど様々なコミュニケーションの形がある。ここでは、一つの「現実」として利用者に体験されやすい、「チャット」と総称される文字ベースのコミュニケーション、特にインターネットでチャットを行うシステムであるIRC(Internet Relay Chat)
<注3> をとりあげたい。IRCはインターネットに接続できる環境であれば比較的安価なクライアント・ソフトなどを使うことで利用できるシステムであり、NiftyServeなど従来の大手商用BBSと比べると圧倒的にコストが低く、CGIなどを利用してホームページ上で行うWebチャット<注4> と比べるとリアルタイムのチャットを実現しているという点で大きな利点をもち、Palaceなど画像を併用したチャットシステムも開発されているが、その利便性から今後とも利用者は増加していくものと考えられる。
 ではIRCという現実はどのようなものなのだろうか。ここではまずインターフェースや基本的なコマンドをまとめ(1節)、IRCという現実の形式を自己の様態(2節)・時間と空間の構成(3節)から予備的な作業として素描してみたい。
<注5>


1.そこでなにが可能なのか

 IRC(Internet Relay Chat)は、UNIXをベースに1988年にフィンランドで開発され、 1990年に日本で利用が開始されたネットワークリアルタイム会議システムである。チャンネルと呼ばれる場でチャットを楽しんだり、DCC(Direct Client to Client)と呼ばれる仕様で端末と端末を直接結ぶことによって、チャットやファイルの送受信を行うことができる。
 では、IRCのMacintosh用クライアントircle(以下アークル)を例に、基本的なインターフェース、およびコマンドを簡単にまとめてみよう。
<注6>


図1/ircleで接続した一例

1.1 基本的な操作
 IRCはまずIRCサーバーに接続するところから始まる。利用者はIRCサーバーにニック(NIck)と呼ばれるIRC上の名前で接続する。接続されてからの操作は、「/command」の形で表現されるコマンドか、ircleの場合はボタンを通じて行う。ニックはデータを共有するIRCサーバー群の中では唯一のものでなければならず、先に同じニックで接続した利用者がいれば、そのニックは使えない。IRCサーバーには同時に10回線まで接続でき、慣れた利用者なら異なるニックで同時に活動することも可能である。
 ニックに本名(あるいはその一部)や既に使われているあだ名が使われることもあるが、動植物の名前、任意の単語を使う場合が多い。たまたまニックがぶつかった場合は、原則としては長く使っている利用者に譲るという暗黙のルールがある。ニックは接続中に変えることができ、接続する度にニックを変えることは可能だが、利用者同士はニックを通じて互いにアイデンティファイするため、通常は一つのニックを状況に合わせてバリエーションをつけながら使っていく(後述)。
 ircleなどのクライアントソフトでは、ウインドウ別に表示されるチャンネル(図1・左上と左中)でチャットが行われる。ユーザーはそれぞれ好みのチャンネルに/joinコマンドで参加したり、また自分で新しいチャンネルを名付けることで開くことができる。参加するチャンネルの数は10個・20個とIRCサーバーによって制限されている場合もあるが、IRCサーバーに一度に10回線まで接続することができるので、ある程度慣れたユーザーなら、10個以上のチャネルに参加したり、同時に複数のチャンネルで活動するのも珍しくない。自分の発言もチャンネルに表示され、ircleの場合は文字色で区別される。
 チャンネルの参加者はユーザーリスト・ウインドウ(図1・右上)に表示され、利用者が設定したユーザー名と利用者のインターネット上の住所とでもいうべきIPアドレスが@で区切られて表示される。とはいえ、示された参加者全員が活動しているわけではなく、国内ではROM(Read Only Member)と呼ばれる、発言を読んではいるが発言しない参加者もいれば、「常駐」と呼ばれるpircというPealベースのクライアントで接続を確保しているが活動しているとはかぎらない参加者もおり、またボット(Bot)と呼ばれる一定の文字列に反応して発言を返したり自動的にチャンネルを操作するプログラムもいる。
 個々の発言は発話者のニック(ネーム)の後に続いて示される。例えば、

yoiko: こんばんわ〜

 ならば、yoikoは発話者を示す。この例のように、チャンネルで発言は改行で区切って表示される。また、チャンネルへの他のユーザーの出入りなどサーバーからのメッセージも同様に表示される。発言やコマンドの打ち込みは、対象のチャンネルなどをマウスかショートカットキーで選択した後、すべて左下の「インプットライン」ウインドウに対して行われ、リターンを押すことによって送信される。それゆえ熟練した参加者でも、発言しようと思った場でないところに発言が送信されるミスが生じる。  チャネルに打ち込まれた発言は参加者全員に共有されるが、特定の参加者の発言をignore(イグノア)することもできる。また、チャンネルへの発言とは別に、プリブ(Private message)と呼ばれる個人宛のメッセージを送ることもできる。個人対個人のメッセージは、チャンネル上に表示されるが、Queryというコマンドでチャンネルの様に独立したウインドウとして送受信を表示させることもできる。Private messageはIRC サーバーを経由するが、それとはべつにDCCによってチャットをQueryのように独立したウインドウで行うことができる。
 前述のようにDCCによって、例えば自分の画像や話題になっている資料などファイルの送受信を行うことができる。

1.2 チャンネル
 チャンネルは「#チャンネル名」という形式で任意に設定できる。最初にチャンネルを開いた利用者にはチャンネル・オペレーターの権限(op)
<注7> が与えられる。opを持つ利用者は、他の利用者にopを与える、他の利用者のopを奪う、チャンネルから他の利用者を蹴りだす(kick)、チャンネルに特定の利用者が入ってこれないようにする(ban)、発言を禁じる(-voice)などのコマンドを使うことができる。また、そのチャンネルのトピック、シークレットモード(参加者以外には見えなくなる)やパスワードの設定、参加人数の制限などのチャンネルのモードを設定することもできる。kick、banなどを乱用する利用者もいないわけではなく、チャンネルによっては無条件に譲渡するところもあるが、opの譲渡はある種信頼のしるし、「仲間」として受け入れるしるしとして機能している。
 チャンネルの規模は2〜3人の小規模なものから、深夜のピーク時には70人を越えるチャンネルもある。大きなチャンネルになると、複数の話題が同時に展開され、各利用者はある発言がどの話題に属するものか判断しながら活動することになる。
 その場合は

yoiko: ぴよこ;こんばんわ
yoiko: こんばんわ>ぴよこ

のように、呼びかける相手を特定しながら発言することになる。
 こうしたことが続くようになると、チャンネルを新設して話題を分けることになるが、分岐したチャンネルが定着し、元のそれより活発になることもある。
 IRCに参加しはじめた利用者は「#初心者」など技術的な質問やトラブルの相談向けのチャンネルを勧められる。そこで初心者はIRCの情報やコマンドの利用の仕方、設定のこつを学ぶ。
<注8>

1.3 情報の収集
 接続状況や他の利用者の情報を収集する機能もよく使われている。新しくチャンネルに参加した利用者や長時間発言していない参加者のニックに対してWhoisコマンドをかけることによって、参加しているチャンネル名・最後の発言からの間隔・IPアドレスなどを知ることができる。ネットワークの状況によってはどうしてもタイムラグが生じるが、Cpingというコマンドで相手とのタイムラグを測定することができる。また、相手のクライアントとバージョンを調べるものや、特定のニックがIRCサーバーに接続したり、接続解除したことを通知するコマンドも使われている。
 また、チャンネル名に対してwhoコマンドをかけることによって、そのチャンネルの参加者のニック・IPアドレス・クライアントソフトに書き込んだReal Name(本名であるとはかぎらない)を表示させることができるが、同時に利用者はこれら情報を公開しないよう設定することもできる。
 接続したIRCサーバーが保持しているチャンネルとトピックのリストも表示することができ、このリストを見て興味のあるチャンネル名を選んで参加することもできる。チャンネル名は大学など組織名をとったもの、声優の名前や作品名など趣味を表すもの、「#まっく:*.jp」などコンピュータに関するもの、「#ほげ」のように意味の痕跡を避けたものなど様々な名前がつけられている。とはいえ、組織名をとったものでも、その組織の関係者でない参加者の方が多かったり、趣味を表すものでも関係のない話題が展開されていたりする場合も多い。そうしたチャンネルではむしろ、少なくとも「常連」にとっては、関心の共有よりも、そのチャンネルという一種の共同体そのものに活動の根拠がおかれていると考えられる。

 IRC上の活動は、以上のような機能を中心に構成されていると言えるだろう。総括するなら、リアルタイムでマルチチャンネルでの会話が広く行われていること、banやkickなどチャンネルを防御する(あるいは攻撃する)機能が、権限が必要とはいえ簡単に使え、またチャンネルの新設が容易であることなど自由度が高いことが大きな特徴であると言えるだろう。この二つの特徴は、IRCという現実の特徴でもあるはずである。
 我々がある現実を生きるということは、その現実に固有の様態の自己、時間と空間の感覚を生きるということでもある。では、次節から、IRCにおける自己と、時間・空間の構成の特徴について考えてみよう。


2.  彼女/彼らは誰なのか、そして私は誰なのか


 CMCは新しい自己の形を導くことはよく言われている。序章で述べたように、CMCの特質――匿名性とコミュニケーションがコンピュータで扱える画像や文字に制限されていること――は、顔や声の表情・しぐさやボディランゲージなど、とりたてて意識されることは少なくても対面的なコミュニケーションを豊かにする資源から利用者達を切断する。そのために顔文字(例えば「(^^;」)のような、発言の末尾につけてニュアンスを表現する工夫もなされているが、同時にこの切断は、リアルなアイデンティティから利用者を解放し、異なる性格/異なるアイデンティティの人間としてふるまうことを可能にする。異性としてふるまう利用者(MorF)もいることはネットワーカーでなくとも周知の事実である。もちろん「本来の自分」――CMCの外に存在する自分に即して活動する利用者も多いが、その自己呈示が真実のものであるかどうかは、少なくともネットワーク上では検証することができない。DCCで自分の姿を映した画像データを他の参加者に送ることはできるが、そのデータが真実自分のものであるかどうかは、ネットワーク上では証明不能なのである。
 またそもそも、話している相手がそもそも人間なのか、という問題すらある。前述したボットは、特定の文字列に反応して発言をしたり、opを参加者につけるためにチャンネルに参加させてあるものだが、ボットの存在を知らない初心者には一参加者だとしか見えない。中には女性の名のボットを口説いてしまうような悲喜劇もないわけではない。国内のボットは、ユーザー名をbotとしてボットであることを表示する習慣があるが、もし入念にプログラムされ、ボットと示さずにチャンネルに入れれば、少なくともしばらくの間は「人間」としてふるまえるだろう。IRCではないが、打ち込む間合いや訂正の動作まで「人間」の利用者をシュミレートした学習機能つきプログラムがフィンランドのチャットシステムで5年以上作動していたこともある。[Dery, ,1996-1997]
 このような自己呈示の根源的な不安定さは、現象としてこのようなCMC特有の文体や問題を生み出すだけではなく、自己イメージの分裂をも導く。自己呈示の最大のツールとなる言語も、CMCの外にあるそれから変容を被るのである。
 チャットは通常普通の話し言葉に近い文体でなされるが、キーボードで言葉を打ち込む以上、話し言葉そのままではない。チャットは一に発言を打ち込む/読むのリズムにかかっているため、一つの発話は実際の会話におけるそれより短くなり、倒置など文法構造を複雑にする表現は避けられる。また一つの発話をインプットラインに打ち込み、「ネットワーク」を「ねとわく」と表記するように、撥音や長音をはぶき、カタカナ表記にせず平仮名のまま打ち込むなど、言葉そのものの表記も変えられる。このような言葉の変容、CMC特有の感情を表現するための顔文字や表現、文体
<注9> などは逆に、自己呈示の唯一の資源である発話を規定し、発話はそれに応じた他者の反応を呼び起こし、その反応は自己に返ってきて自己イメージの変容を迫る。CMC上の人格は、対面的現実の中での人格とは異ならざるをえない。そもそも人格は場面場面のコンテクストで変わりうるものでもあり(例えば職場/家庭)、それほど統一的固定的なものではないとも言えるのだが、しかしCMCにおける人格の変容は気づかれやすいのである。CMCと対面的な現実との断層は、単に状況に応じて役割が変わるというだけでなく、「現実」への感覚――時間や空間への感覚――の切り替わりも伴っているからであり、また他のメディア経験と異なり、そこには他者が現れ、相互行為が行われる以上、自己呈示という問題が起きるからである。
 この変容の可能性はCMCの魅力でもあるのだが、同時に自己という概念にインパクトを与えるものでもある。我々は通常、自己の意志で行為を遂行しているという信念をもち、その信念に基づいて行為を行う。そこでの自己とは実情はともあれ例えば、アイデンティティ概念の通俗的な理解にみられるように、統一的固定的なイメージにおいて把握されるものであり、自分の意志しないにもかかわらず、自己がとめどなくずれていってしまうということは、行為の主人であり行為の根拠である「自己」が散乱してしまうということでもある。たしかに違う「自分」になることは一方で快でもある。しかし、違う「自分」を演出するという操作は、自己を管理しなおすという操作であると同時に、いくつかの「自分」の背後にそれを統括し、自己の変容を被らない「自分」を温存しようとする戦略とも読めるだろう。問題は、自己が複数化することそのものではなく、能動的であることを基底的特徴として認知されている自己そのものの、根源的な受動性があらわになることなのである。
 このような主体としての自己像の解体は、60年代以降精神分析や哲学、文学や社会学など様々な分野で展開されているポストモダン思想と呼ばれる一群の思想にとっては自明の理である。例えば、フェルマンはオースティンの言語行為論と『ドン・ジュアン』を組み合わせて読むことによって、約束という行為遂行的発言が本来的に不能であることを示している。[Felman,1980-1991]
 ここでは詳細な議論の紹介は省くが、統一的固定的な自己というものは確かに理論的に不可能であるように思われる。しかし我々がとりあえずそのような想像的に形成される自己イメージをインターフェースとして世界を意味付け、行為していることに代りはない。自己は理論上分裂したものとしてのみ可能だが、統一体としての自己のイメージは、近代と呼ばれる社会の枠組みの中では行為に欠かすことのできない道具立てなのである。
 CMCを介して現れやすくなる自己の不確かさはコミュニケーションという行為にはなじまない。しかしもちろん、CMCにおいてもなんらかの形で行為の主体/アイデンティティは仮構される。この仮構を可能にするのは、呼びかけ/応答という形で形成される発言の連鎖しか存在しない。
 既に他のCMCでニックやハンドルなどネット上の名前を自分の呼び名として十分認知していないかぎり、IRCに参加し始めた参加者は自分の選んだニックを、覚えてはいても自分の名前として認識できない。それを認識するプロセスとなるのが、呼びかけ/応答というシークエンスである。IRCではニックは英数半角文字に制限されており、初心者の多くは最初、呼びかけるときに英数半角で表記する。が、ある程度慣れたユーザーはより名前としてイメージしやすい平仮名や漢字で表記する習慣があり、初心者も次第にその習慣になじんでいき、たとえばpiyokoを「ぴよこ」と表記するのか、「ぴよ子」と表記するのか特定のニックの表し方を覚えていく。
 そして、自分のニックで呼びかけられそれに応える/相手のニックを呼んでその返答を得るというプロセスで、遡及的にそのニックで呼ばれる「自分」というものが形成される。このプロセスは、ニックで呼ばれる「自分」への自己同一化を導く一方、チャットの相手をpiyokoではなく人格イメージをもつ「ぴよこ」として通時的に同定していくことを可能にする。例えば、チャンネルに入ったときには挨拶をすることがIRCの作法として認められているが、これも呼びかけ/応答の流れを引き出すための工夫であるとみなすことができる。
 その意味で「オフ会」(Offline Meeting)と呼ばれる対面的な現実の中で会う時に、たとえ本名を知っていても互いにニックで呼び合うことは、CMCに参入しない者からは奇妙な慣習に見えるが、当事者達には十分な整合性をもった慣習にほかならない。当事者たちはその社会的アイデンティティにおいて知りあったのではなく、ある文体でチャットをしネットワーク上で活動するたとえば「ぴよこ」なのだから。  コンピュータを介したコミュニケーションは以上のように、自己の原理的な不確かさをあらわにすると同時に、ネットワーク上の自己イメージを仮止めするという、アンヴィヴァレントな機能を持つのである。不確かさの露呈は、CMC特有の自己呈示の戦略というある意味できわめて魅力的な操作をもたらすが、一方で深刻に引き受けてしまうと、人間関係のトラブルや、CMCからの離脱などの原因ともなる。CMC上の人間関係は、長く続く場合ももちろんあるが、むしろ数ヶ月単位など短期間で終わることも少なくはない。その短命さは、匿名性や関係の編み方の手軽さにも求められるが、あるいはこの自己呈示の難しさにもあるかもしれない。


3. チャットという時間・チャンネルという空間


 前節では、本来的に主体の不安定さがあらわになりやすいCMCの中で、呼びかけ/応答という形でIRC上の自己が維持されているのではないかとした。では、その自己に、どのように現実を枠づける他の二つの主要な要素である時間と空間は現れるのだろうか。


3.1 チャットという時間
 チャットでは、活動している参加者の間で時間が共有されることになる。しかし、ここでは、行為の時間は特徴的な構造をもつ。IRCはリアルタイムを実現しているが、そのリアルタイムとは対面的な現実の「リアルタイム」とはかなり異なったものなのである。
 対面的な会話や、電話での会話は発話の流れは共時的に流れ、割り込みや沈黙、言いよどみなどで発話は中断されることも多く、はっきり一つの単位として分けられた発話が連鎖していくわけではない。エスノメソドロジーの会話分析が明らかにしたようにこれら会話の技法は、同意を示し、さらなる発話を促す相づちなどとともに、会話という状況を制御する、重要な戦略なのである。[好井編,1992]
 チャットの場合、一つの発言は打ち込まれリターンキーで送信が確定されるまで、他の参加者たちからはもちろん見えない。打ち込みの間があまりに長いと応答に時間がかかり、チャットのテンポを崩すことになるので、多くの場合は20〜30文字くらいを上限とした発話となる。もちろん参加者は一定以上のタイピングスピードを要求されることになる。
<注10> チャットでは進行中の発話の過程は存在しない。発言は常に発言したという完了形でのみ存在するのである。
 このことは、言語行為としてのチャットの大きな特徴となる。直接会って行う会話や、電話の会話の基本的な戦略である割り込みは、チャットでは使えない。相づちも使用されるないことはないが、発話にそって行われるのではなく、一つの発話が聞き手にとどいた時点で打ち込まれ送信されるため、時間のずれが生じ、同意および発話の継続の促進という機能は、対面的な会話の中でのそれより、弱くならざるをえない。
 相づちなしの沈黙は、対面的な現実や電話という現実の中では、特にあまりに長い場合は発話への不同意や、発話者へ会話の順番とりturn-taking managementで発話者の交代を促すプレッシャーとして機能するが、チャットの場合はあいまいな性格を持つ。もちろん不同意を示す手段として沈黙する場合もあるが、他の利用者からのプライベートメッセージや、他のチャンネルでの応答に追われて単に応えられない場合もあれば、ブラウジングや他のCMC、あるいは参加者が物理的に存在する世界の中の出来事に注意の焦点を移してしまっていてそもそも発言を読んでない場合もある。
<注11> ネットワークが混み合っていたり、接続が複雑な経路をたどっているとタイムラグが生じ、発言がまだ受信されていない場合もある。IRCの場合、コンピュータのトラブルやネットワークの不調で仮に参加者の接続が切れてしまっても、しばらくIRCサーバーに接続したデータが残ってしまうので、チャンネル上では参加しているように表示されても、実際にはもう参加者は切断されている場合すらある。そのような場合、それほど大きくないチャンネルでは、再接続した参加者にどの発言まで受信したかを聞いて、接続が断たれた時点から、再接続した時点までの発言をコピーして取り残された参加者に示し、話の流れをフォローしやすくする慣習もある。[Lee-Ellen ,1996]  ネットワークの状況がよく、ほぼリアルタイムで発言の連鎖が続いているとしても、誰かが取り残されているという可能性は常にある。その意味で、IRCなどリアルタイムのチャットは、完全な同時性を実現しているのではなく、技術としてはリアルタイムに近い時間感覚を提供するシステムと言わなければならない。
 しかし、そのような技術的限界の中でも一種の「リアルタイム」が、A・シュッツが他者経験の基底としておいたともに時を過ごすという感覚が存在する。それは、技術的に提供された「リアルタイム」を越えて、ふるまい方の制御や慣習、想像力によって支えられる「リアルタイム」なのである。

3.2 チャンネルという空間
 IRCなどCMCを分析対象としているダネットらは、#weedというチャンネルのログの分析を通じて、IRC上の「バーチャル・パーティ」という現実が5つの入れ子状に重なったフレーム――その内部の行為の意味を規定する状況の定義とここでは考えよう
<注12> ――によって支えられているとしている。 [Danet, Ruedenberg-Wright, Rosenbaum-Tamari,1997] もっとも大きなフレームはリアル・ライフ――物理的空間と時間に根拠付けられている空間であり、1節で「対面的コミュニケーション」の現実と表現したものに相当する――であり、接続を切った利用者たちが戻っていく場所である。<注13>
 もちろんIRCに参加している間、リアル・ライフという現実が中断されているわけではない。参加者は一種の電子的幽霊としてネットワークに没入できるわけではなく、物理的に存在する身体が物理的に存在するキーボードをたたくことによってチャンネルに参加することができるのである。天候や地震
<注14> の話題など、リアルライフで起こっていることへの言及はもちろんあるし、アウェイニックと呼ばれる自分がなにをしているかを示すニックのバリエーションもよく見られる。国内では、例えばnekoというニックならneko_mesi(食事中)neko_WORK(作業中)neko_Zzz(睡眠中・あるいは端末から離れている)などがよく使われている。
 このもっとも基底的なフレームの内側に、IRCというフレームが構成され、その中に個々のチャンネルというフレームが形成される。「チャンネル」という名称からうかがえるように、チャットシステムは先行する匿名性を特徴とするメディア・CB(Citizen Band)無線のCMC版としてイメージされていた痕跡が残っているが、少なくともチャンネルをウインドウというグラフィックで表現するMacintoshやWindowsのIRCクライアントでは帯域というよりもむしろ空間としてイメージされやすい。異なるチャンネルに発言を打ち込んでしまったときの表現に、「部屋間違い」というものがあるが、この表現は端的に各チャンネルが一つの空間として想像されていることを示している。
<注15> 対面的なコミュニケーションの場で、時間と空間の共有の中で相互行為のプロセスが進むように、チャンネルという場は参加者に共有される一種の空間なのである。物理的に空間が存在しているわけではなく、またIRCの場合は「空間」が十分表現されているわけでもないのだから、対面的なコミュニケーションの感覚から、このようなイメージが生じるのかもしれない。
 この空間は「チャンネル」という場に想像的に仮構されたものである以上、複数のチャンネルに入ることは、単にフレームを多重化していくだけでなく、空間を多重化させていくことにもつながる。
 とはいえこれらチャンネルは、ばらばらに単体として機能し、それぞれのチャンネルの中でコミュニケーションを枠づけているわけではない。大規模なチャンネルで見つけた人を自分のチャンネルに招待したり、チャンネルが分岐して新しいチャンネルができたりと、チャンネルの参加者はしばしば重複する。
 重複することによって、新たな操作のレベルがIRCという現実に加わってくる。E・ゴフマンは、主に対面的な現実を対象として、一つのフレームの内部に様々なフレームが派生し、状況に関与する者たちは、そのフレームを随時切り替えながら全体としての状況を枠づけ、また個々の行為を意味付けている様を明らかにしている。彼の描き出す現実は、ひとつののっぺりした意味の空間ではなく、様々な戦略、様々なフレームが交錯する複雑に構成された世界である。例えば、講義という一つの状況の中で、私語を交わす学生は講義というフレームの中に私語を交わすというフレームを創設することになる。教師はその私語のフレームを存在しないものとして無視したり、あるいは目に余るようであれば介入するだろう。また私語をする学生は、講義というより大きなフレームに関与を切り替えながら私語フレームを維持し、あるいは私語フレームに完全に没入してしまったりしながら、現実を構成することになるだろう。  IRCの場合、このようなフレームの操作は、複数のチャンネルやプライベートメッセージの利用を通じて生み出される。一つのチャンネルについて、参加者の多くが重複する別のチャンネルで最初のチャンネルについてのコメントが交わされる場合、それは「裏チャンネル」と呼ばれることもある。
<注16> また、プライベートメッセージでは、こうした操作がされることが多い。このような操作は、IRCという現実の中でのフレームの多重化といえるだろう。
 このような操作は、物理的な一つの空間をまず共有するような現実と異なった位相をもつ。一つの空間という枠組みを共有する場合、その内側にあるフレームは、別のフレームの無視されることはあっても、そのフレーム自体はフレームに参与していないものでも見ることができる。一方、複数のチャンネルやプライベートメッセージにまたがってフレームの操作を行うとき、その操作はチャンネルやメッセージを共有していないと見ることはできない。チャンネルは共有されることはあっても本質的には一つ一つが独立した空間なのである。
 とはいえ、チャンネルとチャンネルの間は完全に分断されているわけではない。先に言及した「部屋間違い」、チャンネルを取り違えて発言する誤操作は、時によっては別のチャンネルの文脈をそのチャンネルに持ち込むことにもなる。つまり、IRCでのフレーミングは、対面的現実とは異なる構造の上に立ってなされるのである。そして、そのフレーミングは、どこで何をどのように発言し状況を生み出していくのか、IRCという現実を支えるために対面的な現実以上の複雑な作業を要求する。この要求に応えることができるかどうかが、あるいはIRCというシステムに入り込めるかどうかの分かれ目となるだろう。
 また、他のCMCのシステムにも言及することによって、状況はさらに複雑になっていく。自分のホームページや話題に関連したページのURLなど交換することによって同じものを見てコメントをチャンネルに打つ、インターネットに特定の利用者が接続しているかどうかを知らせるICQでIRCでできた知人を探す、PalaceやWebチャットなど他のチャットシステムの「裏チャンネル」を作る、といった可能性もある。そうした場合、現実を構成する技法の可能性ははとめどなく細分化され広がっていくことになる。JIRCCというIRC利用者のためのメーリングリストも利用されており、メーリングリストや掲示板をもつチャンネルも少なくはない。これらはIRC上の共同体を補強する機能を担っている。


 

 IRCにおける時間と空間はある部分では対面的な現実のシュミレーションをインターフェイスとしながら、やはり独自のものとして構成され感覚されているといえるだろう。つまり、IRCはチャットの経験がない人々が想像するような単に「文字でおしゃべり」することではない。単純に会話を文字という媒体で行うだけならば、それは直接会って話すことの実に効率の悪い模倣にしかならない。IRCはそれ固有のリアリティを成立させる技法を持つ一つの現実なのである。その独自の構成のあり方は、ある種の利用者には負担ともなりうるが、少なくとも熟練した参加者には、交わされる会話の内容だけでなく、CMCというコミュニケーションの技術が生み出され普及するまで存在しなかったこれら新しい現実の構成の仕方そのものに魅力があるのではないだろうか。



4. 新しい「現実」へ

 ここでは、IRCという現実の構成を主題に、クライアントソフトircleのインターフェイスを中心にその機能を紹介し、またそこでの自己・時間と空間の感覚について記述してきた。それらは組み合わせられ、総体として機能することによって、他の社会的行為とは異なった方法で、しかし同じくらい複雑な現実の構築を可能にしているのである。IRCというシステムの魅力は、そこで交わされる会話の内容のみにあるのではなく、その会話を会話として成立せしめる技法の多様な展開の可能性にあるのではないだろうか。
 とはいえ、ここでの議論は基本的な枠組みを提示するにとどまり、実際のログの分析など、さらなる検討が必要であることはいうまでもない。が、CMCを現実構成という側面から着目していくアプローチは、様々な可能性を秘めていると思われる。
 例えば、対面的な現実の構成を中心的な主題として展開されてきたA・シュッツの現象学的社会学と実際のログを組み合わせてチャットという現実の時間論を展開する、あるいはエスノメソドロジーの会話分析などをCMCという現実に援用することで、この現実の構成を考察することもできるし、同時にCMCという現実を知ることによって、我々の生の基盤である対面的な現実について新しい知見を得ることもあるだろう。また、IRCなど文字ベースのコミュニケーションならば、それを社会学の文脈で対面的な相互行為と比較するだけではなく、文学/テクスト論の文脈で従来の文字メディアと比較することによって、テクストとしてのチャットを語ることも可能なはずである。
 ともあれ、CMC研究はまだ端緒についたばかりである。我々は、この新しい現実を丁寧に生きながら記述し、また理論を精緻化していくべきである。あるいはその成果から、新しい社会学をも生み出すことができるかもしれない。



注 1 いずれも(財)ニューメディア開発協会調べ。(http://www.nmda.or.jp/nmda/)
注 2 このような視点、このような問題化の言説は他のメディア経験に対しても見いだされる。経験はただ多様なものとして並列されているわけではなく、言説空間において序列を付けられ、そのリアルさを管理されているとも言えるだろう。小説などフィクショナルな文字テクスト経験に対する言説とその分析については[吉野,1996]を参照。
注 3 日本語で利用できるIRCについての解説は、総括的なものは「IRC users in Japan Home Page」(http://irc.kyoto-u.ac.jp/)、日本での利用者の統計は「IRCCHANNEL」(http://www.aitech.ac.jp/set1/~atsuya/?src=/IRC/channel)、IRCプロトコルの日本語訳は「Nonogaki's homepage index」(http://www.sainet.or.jp/~nonogaki/title/title.html)を参照。また、用語説明と初期のIRCでのジャーゴンについては「IRCの基礎知識」(http://www.ed.kagu.sut.ac.jp/~j4293062/kiso/main.html#head)などを参照。各クライアントの解説・各チャンネル(後述)・コマンドの紹介なども、ホームページの形で多数公開されている。
注 4 このシステムでは参加者が発言を掲示板に書き込み、その結果が早くて20秒おきに自動的に再表示されるというシステムをとっており、少なくとも再表示のサイクルの間、時間の差が生じる。また再表示が快適に行われるにはそれなりのマシンパワーが必要となる。
注 5 紙幅の制限および、参加者全員の了承が必要となると考えるため、ここでは実際のログなどは使用しない。例えば[Danet, Ruedenberg-Wright, Rosenbaum-Tamari,1997]などでは、参加者に制限を加えていないチャンネルは公開されているものとして、チャンネルの主要なメンバーの了承の元にログを使用しているが、チャンネルの参加者は、誰が発言を見ているかを知った上で活動を展開しているのであり、誰が発言を見るのかわからない状況で発言をしているわけではない。チャンネルは参加者に共有されるものであるが、パブリックなものとは言えない。
注 6 もちろん、実際のインターフェースはどのクライアントソフトを使うかで異なる。Windowsではchocoaが、UNIX系ではirchatが一般的であり、各OSの中でも様々なIRCクライアントソフトがある。UNIX系のクライアントは、一つのウインドウの中をモードラインで仕切って、他のチャンネルの流れをモニターしながらアクティブなチャンネルを切り替えて発言していくが、Windowsのクライアントはircleと同じくウインドウでチャネルを表現している。
注 7 この権利をもつ利用者は、@をつけて表示されるため、@の形から、日本語利用者の間では「なると」と呼ばれている。
注 8 情報を提供する側から言えば、知識を蓄積すると同時に、新しい参加者を確保するといったメリットがある。
注 9 国内の例では「猫語」など語尾や相づちに「にゃ」をつけるものがIRCに限らず広く見いだされる。
注10 さらに、NiftyServeなど大手商用BBSのチャットは、課金コストが高いことと、チャットの場が限定されていることから、発言の流れはIRCに比べかなり速く、また参加者も多い。IRCは複数のチャンネルに入りその時々で一番「盛り上がって」おり興味を引くチャンネルに発言していくことによって、無為な時間を回避すると同時に適度なスピードを保つように使われている。
注11 次節で説明するアウェイニックはこのような状況の分裂から起こるトラブルを回避するためにも機能している。
注12 同じ発言、同じ行為でも、状況によってその意味は異なってくる。たとえば友人同士の会話と面接などパブリックな場では、望ましいふるまい方とされるものはかなり異なる。
注13 ダネットらは様々なタイプのCMC特有の遊戯性――アイデンティティの遊戯、相互行為のフレームの遊戯、顔文字など活字シンボルの遊戯――を分析しながら、リアルライフという基盤的なフレームの上に、IRC GAMEのフレーム、パーティのフレーム、「ふり」のフレーム、パフォーマンスのフレームが重ねられているとしている。IRCの魅力の少なからぬ部分は、これらフレームの重ね合わせと切り替えの技法によって生み出される。
注14 95年の阪神大震災は、BBSなどCMCが緊急時の情報メディアとして注目されたきっかけとなったが、IRCでも「#地震」というチャンネルで情報交換が活発に行われていた。
注15 さらに、Palaceなど、グラフィカルなインターフェイスを重視したシステムでは、チャットの場はより明快に「空間」として構成されている。
注16 さらに、この「裏チャンネル」がシークレットチャンネルや参加者を限定したチャンネルで行われる場合、それはゴフマンの言う「裏局域」――ある知覚を遮断する障壁によって隔てられ、障壁の向こうの局域である表局域でのパフォーマンスが、意識的に否定されるような場所――ともなりうる。[Goffman,1959-1974]


引用・参考文献
Brenda Danet, Lucia Ruedenberg-Wright, and Yehudit Rosenbaum-Tamari,1997,
"HMMM...WHERE'S THAT SMOKE COMING FROM?: Writing, Play and Performance on Internet Relay Chat " Journal of Computer Mediated Communication Vol2.Issue4,(http://www.ascusc.org/jcmc/vol2/issue4/danet.html)
  IRCネタの多いJCMCの中でターナー象徴人類学を使って意味のフレーミング(というわけで、ゴフマンもどきのこっちとはかなり話題はずれる)とか展開している論文。タイトルは、分析対象となったログのトピックから。
Dery, Mark,1996-1997,『エスケープ・ベロシティ』,松藤留美子訳,角川書店
  なんともネタもりだくさんのネット批評。ネタが多すぎて、なにがなんだかわからないものも多い。せめて取り上げてるシステムのURLくらいは出してほしいもの。
Felman, Shoshana,1980-1991,『語る身体のスキャンダル』,立川健二訳,勁草書房
  学部時代に読んでむちゃ感動したけれど、その入り組みかつ流れ流れる文章を社会学の言説にのっけるのはかなりきびちい本
Goffman,Erving,1959-1974,『行為と演技』,石黒毅訳,誠信書房
  ゴフマンの翻訳されている中では主著。ほんとーは、IRCのフレーミングが特異なものであると主張したかったのだが、直前に読み直して、「局域」概念がかなりIRCチャンネルに近いことを発見。しかしゴフマンの概念は著作をまたがってぐちゃぐちゃに結線されており、うっかり手は出せないので断念。今後はゴフマン養成ギブスをつけてフレーム管理をがしがし語れるようになりたいもの(涙)
池田謙一編,1997,『ネットワーキング・コミュニティ』,東京大学出版会
  社会心理学よりの研究者による論文集。データてんこもり、国内文献へのレファランス充実のお買い得な本。
Lee-Ellen Marvin,1996,
Spoof, Spam, Lurk and Lag: the Aesthetics of Text-based Virtual Realities ,Journal of Computer Mediated Communication Vol1.Issue2,(   またしてもJCMCネタ。Spoof, Spam, Lurk, Lagというのは英語ネットワーカーの隠語で、それらの用法を元にネットワークな現実の様相を記述したもの。
内藤耕,1997,「ネットワーク社会の二つの主体象」,情報通信学会年報第7号
  サンショは小粒でぴりりと辛い論文。主に情報化社会論を中心に、ネットをめぐる言説空間の中で主体がどのようにイメージされているかを分析したもの。読んだ瞬間やられたと思いました(勝手に・・・)。この方向を展開するには、たぶん大規模な一般雑誌とかの内容分析で「ネットワーク社会」の表象のされ方分析しかないけど、「激やせ」で大宅文庫には懲りたよしの・・・共同研究者熱烈募集中
大澤真幸,1995,『電子メディア論――身体のメディア的変容』,新曜社
  方向性は全然違うのについ参考文献に入れてしまう基本的すぎる文献。 Schutz, Alfred,1962-85,『アルフレッド・シュッツ著作集1・2』,M.Natanson編,渡部光・那須壽・西原和久訳,マルジュ社
  ドイツ語できないし、シュッツは修論でもう使うまいと思っていたのに、気がつくと「多元的現実について」をぱらぱら読み返しているよしの・・・「多元的現実」の一つとしてCMC考えてみると、絶対面白いです
吉田純,1995,
「〈仮想社会〉のコミュニケーション――インターネットをめぐる社会学的一考察――」,『京都社会学年報』第3号,(http://socio1.socio.kyoto-u.ac.jp/~jun/)
  こういう基本的なところをきっちり押さえた文献がwebで手に入るとは、いんたねっと万歳
好井裕明編,1992,『エスノメソドロジーの現実』,世界思想社   エスノメソドロジーの展開の仕方を色々示してあるよいご本。
吉野ヒロ子,1996,
「フィクションに対する態度〜〜A・シュッツの文学分析への一考察」,『社会学年誌』,第37号,(http://members.tripod.com/~yoshino/fiction.html)   よしのの発想の基本として。でも読みにくいです。許してください。

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